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    江川卓 (野球)から見た黒澤久雄

    現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。現在は駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た谷沢健一

    法政大学1年生の春から主力投手として東京六大学リーグ戦に登板。春季リーグ戦は3位に終わったが、直後の新人戦・慶大戦では3失点5奪三振で完投勝利(自身も4安打)し、優勝に貢献。さらに、その年の秋季リーグ戦でも史上最年少で投手のベストナインを受賞するなど主戦投手として活躍。明治神宮野球大会でも法大の準優勝に貢献した(決勝戦では中大・田村政雄と投げ合うも1本のソロ本塁打に泣き、9回12奪三振、0対1の完投敗戦)。から77年の法大4連覇(4回とも対戦校すべてから勝ち点を奪う完全優勝)にエース、ときには5番打者として貢献した。なかでも1976年秋季リーグでは、投手は野手と比較して打席に立つ回数が少ないにも関わらず規定打席に到達、38打数13安打で打率3割4分2厘(リーグ2位)、本塁打2本(リーグ2位)、打点10(リーグ1位)の好成績を挙げている。このときはもちろん法大の規定打席数以上の選手の中では3部門すべてにおいてトップであった。通算47勝は山中正竹(法大)の48勝に次ぐ史上2位。10月22日、対明大1回戦を5安打完封して47勝目を挙げた翌23日、リーグ最終戦の対明大2回戦に勝てば通算勝利で連盟タイ記録になったが、江川は「うちには投手は他にも沢山いますから」と、あっさり先発を鎗田英男に譲っている。通算17完封は連盟記録、ベストナインにも6度選ばれた。これは高田繁(明大→巨人)の7度に次いで、谷沢健一(早大→中日)の6度と並ぶ連盟2位の記録である。奪三振数(443個)も秋に当時早大4年生だった和田毅(476個)に更新されるまでは歴代最多だった。また、江川は2年生で第4回日米大学野球選手権大会日本代表、3年生で第5回日米大学野球選手権大会日本代表、4年生で第6回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されたが、同学年で3年生時の全日本大学野球選手権大会準決勝で江川と投げ合った東海大・遠藤一彦(のち大洋)は一度も同代表に選出されず、江川に対して強烈なライバル意識を持ったことが設計士の道を諦めてプロ入りする方向転換の要因となった。なお、当時のチームメートには船木千代美(投手)がいる(のちにTDKの監督として都市対抗野球で東北勢初の優勝を果たす)。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た土屋正勝

    同年8月9日、柳川商(福岡)との対戦となった夏の甲子園1回戦は、対江川用の奇策「プッシュ打法」作戦により、江川は6回表に練習試合を含めて146イニングぶりの失点を喫するが、延長15回の死闘の末に作新学院が2対1でサヨナラ勝ち。この試合を完投した江川は15回の参考記録ながら大会史上2位の23奪三振を記録した。江川を見るために全国でファンがテレビに釘付けになり、関西電力が大手会社にエスカレーターと冷房のストップを要請する事態となった。8月16日の銚子商(千葉)との2回戦は、好投手・土屋正勝(のち中日)を相手に、栃木県予選のチーム打率が.204だった作新学院打線は点を取れず、0対0のまま延長戦に突入した。試合途中から降り出した雨でボールがすべり、制球を乱した江川は12回裏1死満塁のピンチを招くと、カウント2-3から内野手全員をマウンドに集め、「次の球は力いっぱいのストレートを投げたい」と告げた。江川はそのとき、「ふざけるな、ここで負けたら終わりなんだからちゃんとストライクを入れろ」といわれることも覚悟していたというが、ナインに「おお、いいよ。ここまで来られたのはお前のおかげなんだから、お前の気の済むように投げろ」といわれ、「ああ、このチームにいて本当に良かった」と思ったという。この直後、江川が投じた169球目のストレートは明らかに高く外れるボールで押し出し。0対1でサヨナラ負けとなり、江川にとって最後の甲子園は幕を下ろした。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見たザ・マサダ

    『マウンドの心理学』(江川卓著、ザ・マサダ、2001年) ISBN 4883970701江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た羽川豊

    現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。現在は駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た山本和行

    打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た矢沢正

    自主トレ期間中は前年まで現役捕手だった矢沢正がパートナーを務めた。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た松鶴家千代若・千代菊

    大正製薬 ‐ 「メンフラハップ」 (同郷の松鶴家千代若と共演)江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た小早川毅彦

    明くる年の、神宮球場で行われた6月2日の対ヤクルト戦では、6回1/3を投げて自責点3で降板、江川自身に勝ち負けは付かなかったが、ヤクルトの4番で「怪物」といわれたボブ・ホーナーと初めて対戦。日米「怪物」対決は、ホーナーから3打席連続三振を奪った江川に軍配が上がった(試合は7対6で巨人勝利)。しかし、9月20日の対広島戦で、4番・小早川毅彦に2打席連続で本塁打を打たれる(シングルヒット1本を含めて猛打賞)。2本目の本塁打は逆転サヨナラツーランとなり、3失点(小早川の2本塁打によるもの)で完投しながら敗戦投手となった。これをきっかけに、球団の慰留を押し切って現役を引退した。任意引退ではなく自由契約になったが、これは球団側の意趣返しともいわれた。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た永川英植

    関東大会に駒を進めての1回戦では群馬県大会優勝校の強豪・東農大二高と対戦したが、2回2死から5回2死まで9者連続奪三振、6回まで投げて13奪三振1安打零封という素晴らしい投球を見せ、観衆を唸らせた。準決勝は70年代前半から「黒潮打線」と呼ばれて強打で鳴らしていた銚子商と激突したが、銚子商随一の強打者、4番・飯野から3打席3三振を奪うなど、まったく相手にせず、1安打完封20奪三振。銚子商はノーヒットノーランを逃れるのが精一杯というほどの完敗だった。続く決勝では好投手・永川英植(1974年のドラフト1位でヤクルトに入団)を擁する神奈川県大会優勝校の横浜高校と激突した。東農大二、銚子商の試合結果を知る横浜は三振を取られまいとバットを一握り短く持って初球から積極的に打ってくる戦法だったが、まったく寄せ付けず、その打線からも16三振を奪い、完封して優勝した。また、この関東大会3試合で3番に入った江川は、12打数7安打・打率5割8分3厘・6打点・2三塁打・2四球と打撃でもチームの勝利に大きく貢献した。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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