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江草仁貴から見たセントラル・リーグ
3月10日に、嶋重宣との交換トレードで広島東洋カープへ移籍。阪神を離れてから1年足らずで、セントラル・リーグ加盟の球団に戻った。背番号は29。江草は広島県出身、嶋は西武の本拠地がある埼玉県の出身であることから、このトレードによって2人とも地元の球団へ初めて籍を置くことになった。貴重な中継ぎ左腕として26試合に登板、直球の球速も140km/h台半ばまで回復するも、防御率は4.43と不安定さが残った。8月11日、ロンドンオリンピックでバレーボール全日本女子が銅メダルを獲得した直後、全日本にメンバーとして選ばれていた竹下佳江と江草が結婚していたことが報道された。8月24日に竹下と連名で、3月24日に入籍していたことを公表した。江草にとっては再婚になる。(江草仁貴 フレッシュアイペディアより)
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江草仁貴から見た野手
は同じ左腕の井川慶が移籍したこともあり先発でスタートする予定だったが、最初の先発登板となるはずだった試合が雨で流れ、以降中継ぎでの登板になった。シーズン当初からビハインド時、同点時、リード時、JFKへのつなぎ役で50試合に登板して5勝0敗、防御率1.95を記録した。しかし、同年オフの契約更改では推定700万円(約27%)のアップを提示され保留、メディアに対し「3年間頑張ったら上がると聞いていて、今年が3年目。もうちょっと評価して欲しい」「誰とは言わないが野手でポンと上がっている選手がいる」とコメントするなど、リリーフ投手に対する球団の査定方法に疑問を呈した。最終的には3度目の交渉で合意。(江草仁貴 フレッシュアイペディアより)
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江草仁貴から見た盈進中学校・盈進高等学校
1980年に広島県福山市で生まれる。1998年の盈進高等学校3年の夏にはエースとして同高校の全国高等学校野球選手権広島大会準々決勝進出の原動力に。準々決勝の如水館戦でも好投するが0-1で敗れる。盈進高等学校から一般入試で専修大学に進学。3年時までは登板機会に恵まれなかったが、4年春の東都大学野球連盟2部リーグで5勝0敗の成績を残してMVPを獲得し、1部昇格の原動力となった。2部リーグ通算5勝0敗、1部リーグ通算1勝3敗。(江草仁貴 フレッシュアイペディアより)
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江草仁貴から見た満塁
3月22日、広島市民球場の最後のプロ野球試合となった広島とのオープン戦で9回裏にリリーフ登板し、同球場のマウンドに最後に立った投手となった。同年は同じ中継ぎ左腕のウィリアムスが故障で離脱する中、62試合に登板。6月26日の対横浜戦では6者連続三振の快投を演じるなど、シーズン中盤までは安定した成績を残す。ところが、8月27日の対横浜戦では2死満塁の場面で登板しながら、押し出しとなる2四球・1死球を記録。9月3日には、対ヤクルト戦で2点を追う8回表の1イニングを託されるも、1被安打を挟む3四球の押し出しで1失点。この前々日(9月1日)でも3四球しており、夏場以降は制球難から四死球や痛打を受ける場面が増えた。(江草仁貴 フレッシュアイペディアより)