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沖縄県から見たノグチゲラ
亜熱帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島等が沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がるほか、イリオモテヤマネコ等の貴重な生物が生息している。なお、環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。(沖縄県 フレッシュアイペディアより)
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沖縄県から見たてんかん
その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、本土では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった。精神障害は悪霊(マジムン)によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある。(沖縄県 フレッシュアイペディアより)
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沖縄県から見た核兵器
戦後、南西諸島は米軍の占領下におかれ、沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍主導のもと新たに『琉球政府』が誕生、基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)に本土が主権回復した後も引き続き沖縄は米軍の統治下におかれた。1950年代以降になると朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52等の戦略爆撃機や枯葉剤や核兵器といった大量破壊兵器も多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰する直前にはほぼ倍になるまで増加した。しかし米軍による強権的・差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に返還され沖縄県が復活した。(沖縄返還)。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は当県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。(沖縄県 フレッシュアイペディアより)