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沖縄県から見た沖縄返還
戦後、南西諸島は米軍の占領下におかれ、沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍主導のもと新たに『琉球政府』が誕生、基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)に本土が主権回復した後も引き続き沖縄は米軍の統治下におかれた。1950年代以降になると朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52等の戦略爆撃機や枯葉剤や核兵器といった大量破壊兵器も多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰する直前にはほぼ倍になるまで増加した。しかし米軍による強権的・差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に返還され沖縄県が復活した。(沖縄返還)。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は当県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。(沖縄県 フレッシュアイペディアより)
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宮古郵便局 (沖縄県)から見た沖縄返還
宮古諸島で唯一、明治期に開設された郵便局であり、民営化後に併設された郵便事業宮古島支店を含め、現在に至るまで地域郵便事業の中心的な役割を果たし続けている。戦後、沖縄返還前は宮古中央郵便局を名乗っていた時期もあった。(宮古郵便局 (沖縄県) フレッシュアイペディアより)