-
-
復帰記念沖縄特別国民体育大会から見た沖縄返還
沖縄の祖国復帰を記念して開かれたこの大会は、通常の国体とは違って全国の予選は行わず、各都道府県に種目と人数を割り振って選考したミニ国体。沖縄では初めての全国規模のスポーツ大会でもあった。(復帰記念沖縄特別国民体育大会 フレッシュアイペディアより)
-
昭和56-57年沖縄渇水から見た沖縄返還
当時は沖縄返還から9年が経過し、経済成長と上水道の普及が進んでおり水需要が増加しつつあった。上水道の水源として沖縄県管理の3ダム(瑞慶山ダム、天願ダム、金武ダム)と沖縄本島北部にある国(沖縄総合事務局)管理の福地ダムが使われていたが水不足が慢性化しており、毎年のように給水制限が繰り返されていた。特に1977年(昭和52年)には169日間の給水制限が行われている。このため福地ダムはかさ上げによるダム再開発事業が始められ、沖縄本島北部に新たに5つのダム(辺野喜ダム、羽地ダム、普久川ダム、漢那ダム、安波ダム)の建設が始められていた。(昭和56-57年沖縄渇水 フレッシュアイペディアより)
-
倉敷ダムから見た沖縄返還
沖縄島南部の水源として1961年に瑞慶山ダムが完成し利用されていたが、ベトナム戦争や沖縄返還の経済効果などによって水需要が増加し続け水不足が慢性化した。このため1982年(昭和57年)から1991年(平成3年)にかけて実施された第2次沖縄振興開発計画の一環として瑞慶山ダムの大型化が進められることになった。当初はダムのかさ上げによる対応が検討されたが、ダムに漏水が発生していたことと周辺地層に水を透過させる透水層があったことなどから旧ダムの下流直下に新ダムを建設することになった。1982年(昭和57年)に事業が始まり1989年(平成元年)3月に着工され1995年(平成7年)2月13日に完成した。同年12月31日には周辺整備のためアメリカ軍用地の一部が返還されている。新しいダムは完成するまで瑞慶山ダムと呼ばれていたが、1996年(平成8年)4月1日の管理開始を以て倉敷ダムと名付けられた。(倉敷ダム フレッシュアイペディアより)