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山内泰幸から見た河原純一
尾道商業高校では3年春の中国大会で優勝。日本体育大学(首都大学野球連盟所属・MVP・ベストナイン受賞)時代に通算31勝、1994年にマークした連続イニング無失点48回2/3は、2011年菅野智之に破られるまで同リーグの記録だった。同年、大学野球日本代表に選出され、河原純一投手(駒大)と二枚エースとして、日米大学野球選手権大会でMVPを獲得。1994年ドラフトで広島東洋カープに同球団初の逆指名選手として入団。この年のドラフトは不作の年といわれ、富岡久貴(東京ガス硬式野球部)と河原純一(駒澤大学)と山内らが目玉選手だったが、地元出身選手をどうしても獲得したい広島・渡辺秀武スカウトは、山内が大学4年に上がる前の3月に「今年のカープの1位は山内で行く!」と新聞マスコミに発表。山内はその後、日米大学野球でMVPを獲得するなど活躍。読売ジャイアンツと中日ドラゴンズから金銭面で好条件を提示されたが、広島入りを選んだ。(山内泰幸 フレッシュアイペディアより)
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宋相勲から見た河原純一
2011年8月に行われた韓国プロ野球ドラフト会議にて、LGツインズより8位指名を受けたが、宋は日本のドラフト会議でも指名の対象になっており、また日本でのプレーを希望していることからLGへの入団を拒否。この年のプロ野球ドラフト会議において中日ドラゴンズが6位指名に踏み切り契約金1,500万円、年俸500万で入団した。背番号はこの年まで河原純一がつけていた60。同じような経緯で入団したチェン・ウェインの前例を踏襲し、通訳は付かない事になっている。なお、宋は日本の小・中・高校に通算3年以上在籍する条件を満たさないことから外国人枠扱いとなり、2014年までの3年間NPBに在籍すれば「ドラフト指名された外国人枠扱いの選手が、日本の学校(宋の場合は高校2年間)の在学期間とNPBの在籍年数の合計が5年以上の場合は、日本人選手として扱われる」の特例が初めて適用され日本人選手として扱われることになる。外国人枠扱いの選手がドラフトで指名されるのは2002年に同じ中日に指名された瀬間仲ノルベルト以来史上2人目。(宋相勲 フレッシュアイペディアより)