-
河原純一から見た浜中おさむ
から原辰徳が監督に就任すると抑え投手に抜擢される。開幕4試合目の中日戦に初セーブを記録し原監督の初勝利に貢献。以降、5月29日のヤクルト戦でアレックス・ラミレスにサヨナラホームランを打たれ初めて救援に失敗するまで抜群の安定感を見せた。7月は9試合に登板して1勝7セーブ・防御率0.00を記録し、オールスターゲームにファン投票で選出された。一方当時の投球フォームが2段モーション(後に禁止となった)だったためか、走者を出した時の投球が極端に安定しない弱点が見え隠れしており、秋頃から安定感を欠くようになり、チームがマジック1で迎えた9月24日の阪神戦では9回に浜中おさむに同点ホームランを打たれ勝ちをフイにしてしまった(マジック対象のヤクルトが負けた為に試合途中にリーグ優勝は決まっていた)。それでも49試合に登板し、5勝3敗28セーブ・防御率2.70を記録。巨人のリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。日本シリーズにも初登板を果たし第4戦では胴上げ投手になった。(河原純一 フレッシュアイペディアより)
-
河原純一から見た全国高等学校野球選手権神奈川大会
神奈川県立川崎北高等学校3年時に出場した神奈川県大会準々決勝(対神奈川県立厚木高等学校戦)で、後に横浜へ入団する川村丈夫と延長16回の投手戦の末に投げ勝っている。(河原純一 フレッシュアイペディアより)
-
河原純一から見た日米大学野球選手権大会
卒業後は駒澤大学へ進学し同期生に本間満、東都大学野球連盟の記録(当時)となる3度の最高殊勲選手に輝くなど、エースとして活躍した。リーグ通算53試合に登板し23勝10敗、防御率1.66、258奪三振。最優秀投手に2度、ベストナインに2度選ばれた。また2年次の第21回日米大学野球から3年連続で日本代表に選出され、全日本大学野球選手権大会を制した4年次には全日本アマチュア野球王座決定戦で社会人王者の日本通運を破って最高殊勲選手に選ばれ、日米大学野球でも最優秀投手となった。(河原純一 フレッシュアイペディアより)
-
河原純一から見たオリックス・バファローズ
1月4日、オリックス・バファローズのコーチ就任に伴い退団した弓岡敬二郎の後任として愛媛の監督に就任することが発表された。(河原純一 フレッシュアイペディアより)
-
河原純一から見た東京ヤクルトスワローズ
プロ野球珍プレー・好プレー大賞にて、9回裏・三塁線のバント処理で三塁へ送球するも無人だったため、三塁悪送球となり走者が生還しサヨナラ負けになったプレー(2011年4月20日、対東京ヤクルトスワローズ戦)で2011年度大賞を受賞した。(河原純一 フレッシュアイペディアより)