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    法隆寺から見た法隆寺駅

    JR大和路線法隆寺駅下車。徒歩で20分。または奈良交通バス(72系統)で、法隆寺駅バス停→法隆寺門前バス停→徒歩1分で法隆寺南大門法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た涅槃

    木造五重塔として現存世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初層から四重目までの柱間は通例の三間だが、五重目のみ二間とする。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置する(計80点の塑像が国宝)。この塑像に使用された粘土は、寺の近くの土と成分がほぼ等しいことから近くの土で作られたと推測される。東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、南面は弥勒の浄土を表す。北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像が特に有名である。五重塔内部にも壁画(現在は別途保管、重文)があったが、漆喰が上から塗られたことなどが原因で剥落してしまっている。心礎(心柱の礎石)は、地下3メートルにあり、心礎内からは1926年にガラス製の舎利壺とこれを納める金製、銀製、銅製の容器からなる舎利容器が発見された。なお、舎利容器は、調査後、元の場所に納められている。法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た根津美術館

    飛鳥時代後期(白鳳期)、木造。六観音像と通称され、重要文化財の指定名称は「観音・勢至菩薩」、「日光・月光菩薩」、「文殊・普賢菩薩」となっているが、本来の名称は明らかでない。少しずつ様式の異なる3対の像から成る。東京の根津美術館には、この六観音像と酷似した菩薩像があり、もとは8体あったものとも言われる。法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た帝釈天

    切妻造、本瓦葺き、桁行七間、梁間四間。内部は床を張り、天井を張らない化粧屋根裏とする。橘夫人(県犬養橘三千代(藤原不比等夫人、光明皇后母)伝承されるが、現在では聖武天皇夫人・橘古奈可智とする説が有力)の住居を移転して仏堂に改めたものとされ、奈良時代の住宅遺構としても貴重である。昭和大修理時の調査の結果、この堂は他所から移築され改造された建物で、前身建築は住居であったとみられる。堂内には多数の仏像を安置するが、通常は公開していない。内陣は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ乾漆造阿弥陀三尊像(奈良時代、重文)が安置される。他に梵天・帝釈天立像、四天王立像、薬師如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒仏坐像、阿弥陀如来坐像(各木造、平安時代、重文)を安置する。法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た安堵町

    1944年(昭和19年) 爆撃から守るため、解体していた部材を安堵村(現安堵町)などに疎開させる。法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た善がい訴訟事件

    その後、聖徳太子の弟来目皇子の子孫と伝えられる登美氏の支配下に置かれていたが、平安時代初頭には登美氏からの自立への動きが強まった。この過程で法隆寺側と登美氏との間で発生したのが、善愷訴訟事件である。法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た懸空寺

    5世紀末に造営された懸空寺法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見たギメ東洋美術館

    鎌倉時代の慶派の仏師・康勝の作。元来の西の間本尊が中世に盗難にあったため、新たに作られたもの。全体の構成、衣文などは鎌倉時代の仏像にしては古風で、東の間の薬師如来像を模したと思われるが、顔の表情などは全く鎌倉時代風になっている。両脇侍のうち勢至菩薩像は幕末から明治初期の時代に行方不明になり、現在は、フランス・ギメ美術館蔵となっている。現在金堂にある勢至菩薩像はギメ美術館の像を模して1994年に新たに鋳造されたものである。法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た近鉄橿原線

    近鉄橿原線筒井駅下車。奈良交通バス(63・92系統)で筒井駅バス停→法隆寺前バス停徒歩3分法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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    法隆寺から見た阿弥陀如来

    橘夫人厨子及び阿弥陀三尊像(国宝)法隆寺 フレッシュアイペディアより)

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