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日本共産党から見た浅野史郎
2007年3月の東京都知事選挙では、共産党推薦の吉田万三と、市民団体が擁立し民主・社民の実質的な支援を受ける元宮城県知事の浅野史郎、現職知事の石原慎太郎の有力三候補が競う形となった。共産党は現職の石原都知事を批判しており、浅野もまた反石原という点では一致していた。石原都知事の圧倒的優勢を覆すため、市民団体は「反石原」で吉田の出馬取り下げを要求した。これに対し、話し合いもないまま取り下げを強要されたと吉田陣営が反発(ただし市民団体側は事前の申し入れはしていたと反論)。志位和夫は「(浅野と)石原都政はうり二つ」と断言しこれを拒否した。その理由は、民主党が都議会において「オール与党」体制の一翼を占めており、吉田候補は集会等で「他に共闘対象となる候補者が出れば、自分は降りてその人を支援しても良い」と発言していたが、同席していた民主党都議は共産党との共闘を明確に拒否した。このような足並みの乱れもあり、選挙は石原が前回に続いて大勝した。その直後の都議会では、民主党や東京・生活者ネットワークは、知事提案の議案にすべて賛成した(社民党は都議会の議席をもっていないが、議席のあった2001年までは知事提案にすべて賛成する石原与党であった)と、共産党側は批判している。(日本共産党 フレッシュアイペディアより)
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宮城県仙台三桜高等学校から見た浅野史郎
浅野史郎宮城県知事(当時)が率先し、宮城県教育委員会が推進した共学化の提案について、全校集会での共学化賛成・反対の投票では99%が共学化反対の意を表明し、同窓会も反対を表明したが、2010年(平成22年)に男女共学化され、校名を「宮城県仙台三桜高等学校」に改称した。(宮城県仙台三桜高等学校 フレッシュアイペディアより)
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