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  • 諏訪原城

    諏訪原城から見た遠江国遠江国

    諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の山城である。諏訪之原城とも書く。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされる。徳川氏時代の城名は牧野城。『家忠日記』には牧野城のほか牧野原城とも記載。東照宮御実紀(徳川実紀)に、牧野の城(諏訪原をいふ)と記載。諏訪原城 フレッシュアイペディアより)

  • 菅沼忠久

    菅沼忠久から見た遠江国遠江国

    奥三河に版図を拡げる菅沼一族の中で唯一、遠江引佐郡都田に地盤を持っていた。当初は、菅沼氏との連携を大事にしていたようだが、より身近な井伊谷に居を構える井伊氏の被官になったと見られている。菅沼忠久 フレッシュアイペディアより)

  • 関東ローカル

    関東ローカルから見た遠州遠江国

    新聞については関東地方のほか山梨県・静岡県のほぼ全域(一部は西部地域のみ名古屋本支社編集分を販売)・長野県も販売エリアとなっている(新潟県は北陸・東北エリアの範疇が多いとされる)。関東ローカル フレッシュアイペディアより)

  • 東海東山方言

    東海東山方言から見た遠州遠江国

    西部方言--遠州中西部。外輪東京式アクセント。東海東山方言 フレッシュアイペディアより)

  • 徳川家康

    徳川家康から見た遠江国遠江国

    1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いにおいて今川義元が織田信長に討たれた後、今川氏の混乱に乗じて岡崎城へ入城すると今川氏(義元の子・氏真)と決別し、信長と同盟を組んだ(清洲同盟)。この際、(義元からの偏諱(一字)を捨てる意味で)名を元康から(松平)家康(いえやす)に改め、信長の盟友(事実上は客将)として、三河国・遠江国に版図を広げていくこととなる。永禄9年(1567年)には、それまでの松平氏から徳川氏に改姓し、徳川家康となった。以後近江、遠江、三河などを転戦し、1582年(天正10年)、本能寺の変において信長が明智光秀に討たれると、神流川の戦いにより空白地帯となっていた甲斐国・信濃国をめぐって関東の北条氏、越後の上杉氏と争い、この二ヶ国を手中にしてさらに勢力を広げた。徳川家康 フレッシュアイペディアより)

  • 磐田市

    磐田市から見た遠江国遠江国

    かつては(律令時代以降)、遠江国の国府・国分寺が置かれた古代の政治文化の中心都市であり、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道宿場町である「見付宿」があった見付地区が発達した。東海道本線敷設以後は駅が設置された中泉地区も発展。見付と中泉が合併した1942年以降は郡名に由来した磐田の自治体名で呼ばれることになった。磐田市 フレッシュアイペディアより)

  • 静岡県

    静岡県から見た遠江国遠江国

    県域東西155km、南北118km。令制国の伊豆国、駿河国、遠江国の3国に相当する東西に広大な県であり、東西で住民の意識に違いが見られる。地域によって差異は認められるものの、県民に根付く県のシンボルとして富士山や伊豆半島、駿河湾、御前崎といったものが挙げられ、県旗もそれらに基づいてデザインされている。静岡県 フレッシュアイペディアより)

  • 松井信薫

    松井信薫から見た遠江国遠江国

    松井 信薫(まつい のぶしげ、? - 享禄元年(1528年)2月)は戦国時代の武将。通称は左衛門尉・兵庫亮・山城守など。松井貞宗の子で、遠江松井氏の嫡流を継ぐ。今川氏の譜代の家臣。遠州二俣城主。松井信薫 フレッシュアイペディアより)

  • 仁木義長

    仁木義長から見た遠江国遠江国

    尊氏が室町幕府を開いて初代将軍となると、義長は京都に上り、備後・遠江・伊勢・伊賀・志摩等の守護や侍所頭人などを歴任した。仁木義長 フレッシュアイペディアより)

  • 朝比奈泰能

    朝比奈泰能から見た遠江国遠江国

    遠江国の要衝掛川城を居城として今川義元の西方(遠江・三河)への戦略を常に助ける働きを示すが、その一環として分家の紀伊守・肥後守元智の兄弟などに浜名湖西岸の宇津山城を託している。自身としても、天文17年(1548年)の小豆坂の戦いでは、総大将の太原雪斎を補佐する副将として出陣した。朝比奈泰能 フレッシュアイペディアより)

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