
敬満神社から見た遠江国
祭神は『日本文徳天皇実録』では「敬満神霊」と見えるが、伴信友が『蕃神考』で主張して以来、その素性を秦氏遠祖の功満王に比定する説が知られる。この功満王は、『新撰姓氏録』によると秦の始皇帝三世孫の孝武王の子、かつ融通王(弓月君)の父とされる伝承上の人物で、仲哀天皇8年に渡来したという(ただし『日本三代実録』では出自・渡来時期の異伝を載せる)。功満王説では「敬満」が「功満」に比定され、また『続日本後紀』に遠江国蓁原郡の人として見える「秦黒成」の存在から、当地一帯に居住した渡来系氏族の秦氏がその氏神を祀ったものと想定されている。(敬満神社 フレッシュアイペディアより)