-
松永光から見た浜田幸一
長崎県南高来郡南串山村(現雲仙市)生まれ。1947年に東京都立九段中学校を卒業し、中央大学法学部法律学科に進学。その後、早稲田大学第二法学部法律学科に編入し、1951年に卒業した。同年、司法試験に合格し、1954年に福岡地方検察庁検事に任官。しかし翌1955年に退官し、弁護士開業。そのかたわら養父・松永東の秘書を務め、東の死後、1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉1区から自由民主党公認で出馬し、初当選した(当選同期に森喜朗・小沢一郎・羽田孜・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・村田敬次郎・江藤隆美・浜田幸一らがいる)。以後、10期連続当選。当選後は中曽根派に所属し、渡辺美智雄が継承した後も渡辺派に所属。引退するまで、中曽根派・渡辺派の系譜である志帥会に所属していた。(松永光 フレッシュアイペディアより)
-
-
ハプニング解散から見た浜田幸一
前年1979年に、与党・自民党議員の首相指名選挙での投票先がほぼ二分されるという日本国憲法施行以来前代未聞の事態(四十日抗争)があった1980年5月16日、日本社会党の飛鳥田一雄委員長が、浜田幸一衆議院議員のラスベガス・カジノ疑惑・KDD事件・鉄建公団不正経理事件など、一連の自民党政治下でのスキャンダルを理由として、衆議院に大平内閣不信任決議案を提出した。解散総選挙を警戒していた公明党、民社党も同調の気配を見せ、これに呼応するかのように自民党の反主流派が動き出し、浜田の証人喚問とKDD事件のため国会に綱紀粛正委員会を設置することを求め、大平正芳首相の回答を求めた。(ハプニング解散 フレッシュアイペディアより)
-
注目ワード
キーワード一覧