253件中 51 - 60件表示
  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た高橋辰夫

    さらに青嵐会は田中に対する反発から昭和49年の参議院議員選挙において、既に自民現職が2人もいる北海道選挙区(定数4)に「青嵐会公認」と称し無所属の高橋辰夫を立てる。この時浜田も堂々と高橋の応援に駆けつけている。高橋は落選したものの意外に票を取り、結果現職2人も共倒れとなった。非公認候補の擁立、応援はれっきとした党規違反であり、ましてや北海道の全議席を失なった責任は重大であった。しかしなぜか浜田含む青嵐会への処分は不問とされた。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た寺崎貴司

    郵政選挙で自民党圧勝の翌日、出演した『ワイド!スクランブル』にて小池百合子に対し「生意気な女だな」と発言。小池に「いま、なんとおっしゃいました」と問いただされ、「うすらバカと言ったんだよ」と答えてかわそうとしたものの、小池のここぞとばかりの攻撃にさすがの喧嘩ハマコーも無言となる。結局寺崎貴司アナウンサーが代理で謝罪した。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た中山正暉

    元々青嵐会は、田中角栄内閣による中国共産党の一党独裁国家である中華人民共和国との間の所謂「日中国交正常化」に伴う、同国と対立している中華民国との国交断絶に反発した若手議員による政策集団、という色彩が濃厚であったが、浜田はその中でも特に強硬な親中華民国、反中華人民共和国派議員であった。後の福田赳夫内閣における日中平和友好条約承認審議を巡って、青嵐会の取った抵抗は単に本会議の欠席という中途半端なものであった。しかし浜田と中山正暉だけはあえて出席し、堂々と反対票を投じている。この時浜田は「青嵐会が中華民国に対して、信義を重んじる世界の人々に対して、公約を実行できなかったことを顔向けできないことだと思っている」と語った。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た松永光

    富津町議会議員・千葉県議会議員を経て、2度目の挑戦となった1969年(昭和44年)の衆議院議員選挙で千葉3区より自由民主党から初当選し、川島派に加わった。以後、通算当選7回(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美など)。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た住栄作

    1984年(昭和59年)9月19日に、自由民主党本部が中核派に放火され炎上した。浜田はいち早く駆けつけ消火にあたった。そこへ当時の法務大臣であった住栄作が酔っ払った状態で現れ、「マッチポンプな真似しやがって」と発言した。それに怒りを感じた浜田は、住を殴りつけてしまった。後に住は発言が不適当だったことを認め、浜田に謝罪した。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た野田義治

    2004年(平成16年)3月27日に放送された『たかじんのそこまで言って委員会 春の芸能界スペシャル』の中で、俳優の今井雅之が同席していたイエローキャブの野田義治社長に対して「お前らみたいなのがいるから芸能界が低く見られるんじゃ!」と激昂し、それをみた浜田が「何を偉そうに目上の人に対してお前は言ってるんだ!」と怒り、途中退席する一幕があった。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た佐藤栄作

    当時田中角栄が属していた佐藤栄作の佐藤派入りを希望するも、同期当選の佐藤派議員数名から「ヤクザのハマコーが佐藤派に入るのなら、派閥から出て行く」という声が上がり、断念。角栄の命を受けて、川島正次郎の許に身を寄せる。川島と角栄の他、中川一郎、金丸信に師事した。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た川島正次郎

    当時田中角栄が属していた佐藤栄作の佐藤派入りを希望するも、同期当選の佐藤派議員数名から「ヤクザのハマコーが佐藤派に入るのなら、派閥から出て行く」という声が上がり、断念。角栄の命を受けて、川島正次郎の許に身を寄せる。川島と角栄の他、中川一郎、金丸信に師事した。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た安倍晋三

    2003年(平成15年)の自民党役員人事における安倍晋三の幹事長就任を事前に『TVタックル』で予想していた(他の多くの識者や政治家は山崎拓幹事長の留任を有力視していた)。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

  • 浜田幸一

    浜田幸一から見た正森成二

    1988年(昭和63年)2月6日、衆議院予算委員会で質疑に立った日本共産党の正森成二議員が、「過激派への政府の対応は、泳がせ政策ではないか」との趣旨の発言をし、竹下登首相が「泳がせ政策などをとったことはない」と答弁したことに対し、正森が「浜田委員長も過去、ワイドショーで共産党と同じ意見を述べていた」と発言した(参照:)。当時の衆院予算委員長だった浜田は、共産党と自分の意見の違いを見せようと思い咄嗟に「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました」と、過激派と宮本率いる共産党をあたかも同一視しようとしたため、正森は激昂したが、このとき浜田は正森の言う「泳がせ政策」発言を肯定したため、正森は対決を避け、他の質問に移った。浜田幸一 フレッシュアイペディアより)

253件中 51 - 60件表示