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浜田省吾から見た世良公則&ツイスト
1970年代はレコード会社の意向もあって、「ポップなメロディーメイカー」としての曲作りを迫られる。当時の制作サイドはAORに代表されるような都会的でポップなソングライターとして開花させようとしていた。本人は変わらずロック志向だったものの、周りに言われるがまま作家的な曲作りを続ける。しかし、セールスには恵まれず、苦悩と挫折の中で精神的にも落ち込んでいき、「曲は書けるが詞が全く書けない失語症のような状態」に陥る。1979年5月21日、職業作詞家が半数以上作詞を手掛けたアルバム『MIND SCREEN』発表。1978年から始まった「ザ・ベストテン」等で、後輩の原田真二や世良公則&ツイストらがブレイクする中、「あー、俺の時代はやっぱ来ないまま終わるのかなあ」と感じる。(浜田省吾 フレッシュアイペディアより)
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浜田省吾から見たスティーヴ・ルカサー
1980年10月21日、6thアルバム『HOME BOUND』リリース。それまでの職業作家的な曲作りから、本格的ロックに音楽性が変化する重要作。初の海外レコーディング作品で、ニッキー・ホプキンスやTOTOのスティーヴ・ルカサーなどアメリカを代表する一流ミュージシャンが参加した。セールス的にはそれほどでもなかったが、自身の方向性を見つけ出す。(浜田省吾 フレッシュアイペディアより)
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浜田省吾から見た原田真二
1970年代はレコード会社の意向もあって、「ポップなメロディーメイカー」としての曲作りを迫られる。当時の制作サイドはAORに代表されるような都会的でポップなソングライターとして開花させようとしていた。本人は変わらずロック志向だったものの、周りに言われるがまま作家的な曲作りを続ける。しかし、セールスには恵まれず、苦悩と挫折の中で精神的にも落ち込んでいき、「曲は書けるが詞が全く書けない失語症のような状態」に陥る。1979年5月21日、職業作詞家が半数以上作詞を手掛けたアルバム『MIND SCREEN』発表。1978年から始まった「ザ・ベストテン」等で、後輩の原田真二や世良公則&ツイストらがブレイクする中、「あー、俺の時代はやっぱ来ないまま終わるのかなあ」と感じる。(浜田省吾 フレッシュアイペディアより)