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涌井秀章から見た中村剛也
4月3日の開幕戦では2年連続2回目の開幕投手をつとめる。開幕投手はアメリカ遠征中に渡辺久信から直接電話を受け打診された。このため3月26日夜にWBCから帰国し、翌27日のデーゲームのオープン戦に先発して調整するというハードスケジュールであった。開幕から安定した投球を続け、7月には4試合4勝0敗防御率1.64の成績で月間MVPに選出された。前年よりの球速アップへの取り組みや筋力トレーニングを積極的に取り入れたこともあり球威が上がって奪三振数が増え、これまでの技巧派のイメージから一転して伸びのあるストレート主体の投球に切り替わった。しかし抑えの切り札であったアレックス・グラマンが5月に左肩関節炎で離脱し、チームの中継ぎ陣が不安定になり、先発した試合では完投を余儀なくされるようになる。さらに8月には主砲の中村剛也が怪我で一時的に離脱してチームの得点力が低下し、8月から9月にかけては5試合連続9回まで投げたが2回しか勝ちがつかずうち2度は同点だったため完投も記録されなかった。球数が非常に多くなり、160球以上投げた試合が3試合、1試合あたりの球数が132球、1イニングあたり16.8球を投げた。年間で3555球を投げ、2007年の3385球に続いて両リーグトップだった。最終的に16勝6敗で2年ぶりの最多勝を獲得し、4年連続の2桁勝利を達成した。また投球回は12球団でただ1人200イニングを超え、完投11は両リーグ単独最多、完封4は両リーグ最多タイであった。防御率2.30、奪三振数199はリーグ2位といずれも自己最高であり、両リーグで唯1人、全ての選考基準を満たしたことで、2009年度の沢村賞を受賞した。オフに出身地である松戸市の市民栄誉賞を受賞し、通算勝利数に応じて市に寄付をすることが発表された。(涌井秀章 フレッシュアイペディアより)
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涌井秀章から見た和田毅
は、3年連続3回目の開幕投手を務める。この試合は千葉ロッテマリーンズの横浜高校時代の先輩、成瀬善久との投げ合いになり競り勝った。その後は不安定な投球が続き、さらに4月9日の対ロッテ戦の前日の練習中に味方打者の打球が後頭部に直撃し病院で検査を受けるというアクシデントに見舞われた。5月以降は調子を持ち直し、交流戦では4勝を挙げる。この年ソフトバンクの和田毅に継ぐ交流戦通算17勝を挙げた。5月15日の横浜ベイスターズ戦では4打数3安打4打点の活躍を見せ、プロ入り後及びパ・リーグの投手として交流戦史上初の猛打賞を獲得した。その後は石井一久と岸孝之が相次いで負傷離脱したため、中継ぎ温存のため毎試合完投を前提に投げることを余儀なくされた。しかしこの夏の記録的な猛暑で登板中に脱水症状を起こし脚をつって降板するなど体力を消耗し、途中まで好投するも試合後半に突発的に打ち込まれて大量失点するケースが目立った。それでも前半戦の活躍によりシーズン14勝を挙げた。(涌井秀章 フレッシュアイペディアより)
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涌井秀章から見た明徳義塾中学校・高等学校
3年夏には第86回全国高等学校野球選手権大会1回戦の報徳学園戦では完投勝利。打撃でも本塁打を含む2安打を記録した。2回戦の京都外大西戦では延長戦にもつれ込んだが完封勝利した。3回戦の明徳義塾戦は5点を失うも完投勝利(自責点4)。準々決勝の駒大苫小牧戦では7回6失点(自責点5)を喫しチームも1-6で敗れた。(涌井秀章 フレッシュアイペディアより)
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