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渡瀬恒彦から見た夏目漱石
幼少期はガキ大将 だった。同じ小学校に通った同級生は「恒ちゃんは、ガキ大将で、けんかがものすごく強かった。友だちをいじめた相手に『何やってるんや』と向かっていき、兄貴肌で慕われていた」と懐かしんだ。生誕した島根県から兵庫県津名郡淡路町に移り、三田学園中学校・高等学校卒業(6年間の寮生活)。高校時代は水泳部に所属(柔道にも励んでいたという説もある)、当時から同世代の女子に人気があり運動会には渡瀬目当ての女子学生が押しかけてきて大変だったという。同級生の兵庫県議・野間洋志によると「常に夏目漱石などを読んでいた。難しい「乾坤一擲」などの言い回しや熟語を使い、国語の成績は270人中常に5番以内」。また恩師によれば、当時から頭の回転が早くリーダーシップがあった。また俳優かけだしの頃、三田学園の寮を何度か訪れ淡路の海を「昔はヤスで魚やサザエを取った」と懐かしんでいたという。渡瀬曰く高校在学中は新聞記者に憧れていた。(渡瀬恒彦 フレッシュアイペディアより)
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渡瀬恒彦から見たゆうき哲也
1975-76年に放映された『影同心』の共演で井上茂は渡瀬と出会った。初対面の挨拶時、当時チャンバラトリオで人気を博していた兄の名前を出し「ゆうき哲也の弟の井上茂です」と名乗った。すると「それは違う、あなたは井上茂でしょ」と一蹴。渡瀬は井上に対し「誰かの弟ではなく、あなたはあなた自身」と諭した という。井上曰くピラニア軍団をこう振り返った。「とにかく酒豪揃いなので、酒を飲むにしても豪快で、氷を入れるアイスペールになみなみと酒を注ぎ、それを回し飲みするのです。渡瀬さんはお酒を飲まれない方なのですが、自分にまわって来たら、生来の負けず嫌いが顔を出し、飲み干します。それでいて酒に飲まれない。翌朝どんなに早く撮影があっても、普段通り整然とスタンバイされていました。よく焼酎の牛乳割を飲まれていたのを思い出します」。当時のピラニア軍団は血気盛んで喧嘩が絶えなかった。ある日、井上が大喧嘩をしていると渡瀬がすごい剣幕で割って入り「どっちが悪いんだ」と問いただしたという。渡瀬の筋を通す「男気」はピラニア軍団の強者たちも一目置いていた。また渡瀬は井上が俳優で活躍できるよう深作欣二と引き合わせ『やくざの墓場 くちなしの花』(1976年)に出演、石原プロにも井上を紹介『大都会?』「17番ホールの標的」(1977年)にメインゲスト扱いで出演できた。(渡瀬恒彦 フレッシュアイペディアより)