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1986年の西武ライオンズから見た渡辺久信
このシーズンは、ドラフト1位で入団した清原和博(3割30本以上)、3年目の渡辺久信(投手三冠)、4年目の秋山幸二(41本塁打)、5年目の工藤公康(11勝)と若手の台頭が目立ったシーズンとなった。チームは前半戦で快調に首位を走っていた近鉄を後半戦に捕らえ、9月に8度の首位交代をするなどのデッドヒートを繰り広げた末に、残り1試合を残してパ・リーグ2連覇を決めた。広島との日本シリーズでは第4戦を終わった時点で1分3敗と後のない状態になったが、そこから4連勝して、日本一に輝いた。(1986年の西武ライオンズ フレッシュアイペディアより)
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1987年の西武ライオンズから見た渡辺久信
この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の2年目のシーズンである。シーズン序盤は辻、渡辺久を故障で欠き、2年目の清原が不振であったことから、5月7日には最下位に転落するなど出遅れた。しかし、5月16日から不振の清原に代わって、秋山が4番に座ると、チームは復調し始め、前半戦終了時点で首位阪急に1.5差の2位に迫った。さらに、辻、渡辺久が故障から復帰するとチーム状態は完全に復調し、8月以降は34勝14敗6分と貯金を20重ねて、パ・リーグ3連覇を果たした。日本シリーズは読売ジャイアンツを4勝2敗で下し、2年連続日本一となった。また、このシーズンオフ、暴力団絡みの麻雀賭博容疑により、東尾が球団から半年間の出場停止と減俸2,500万円の処分を受けた。(1987年の西武ライオンズ フレッシュアイペディアより)
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