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越川和彦から見た渡辺博史
中南米局にある二つの課の両方の課長、経済局政策課長や、渡辺博史、篠原尚之財務官の下で副財務官を務めたのち、2008年、北海道洞爺湖サミットで政府がアフリカ重視の姿勢を示したことから、通常より若い年次でアフリカに大使を赴任させようという日本・アフリカ連合(AU)友好議員連盟会長の森喜朗(元総理大臣)の発案を受け、アフリカ最大の産油国のひとつである駐アンゴラ大使に就任した。同様に、同年英語研修の片上慶一(欧州局参事官)が英語圏の駐ガーナ大使に、最年少のフランス語研修の岡村善文(ウィーン国際機関政府代表部公使)が、フランス語圏の駐コートジボワール大使に就任した。(越川和彦 フレッシュアイペディアより)
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奥田碩から見た渡辺博史
岡田克也副総理及び安住淳財務大臣から要請を受け、2012年3月30日に開催された株式会社国際協力銀行創立総会で取締役に選任されるとともに、国際協力銀行代表取締役総裁に内定する。会社設立に伴い4月1日総裁に就任した。同日付でトヨタ自動車相談役を退任。総裁就任後の会見で「日本の政治、経済は世界の変化に2周も3周も遅れた。体力があるうちに国のために貢献したい。」と述べた。また渡辺博史副総裁との関係については「仕事の丸投げはしない。」とした。2013年12月26日に退任し、2014年1月1日付でトヨタ自動車相談役に復帰した。公益財団法人トヨタ財団会長等も務める。(奥田碩 フレッシュアイペディアより)
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輿石東から見た渡辺博史
2007年の第21回参議院議員通常選挙で民主党が大勝し「ねじれ国会」が発生すると、党参議院議員会長の輿石の存在がにわかに注目され、政治的影響力を増大させていった。輿石は当時の党代表だった小沢一郎との関係を重視し、小沢の肝煎りの法案であるアフガニスタン復興支援特別措置法案を対自民への共闘対象となる野党としての日本共産党や社会民主党と対立してまでも参議院で可決させたり、財務省出身の渡辺博史を日銀副総裁とする人事案では小沢の意向をふまえて党内の同意論を抑えて不同意を主導した。同じく2007年には菅直人ともに代表代行に就任(兼任)。小沢、菅、鳩山のトロイカに並ぶ実力者となる。その後も常に執行部の中心にあり続け、政局を大きく左右するほどの力をもつキーマンとなる。2009年に小沢が代表を辞任するが、鳩山由紀夫新代表の下でも代表代行兼参院議員会長に留任。(輿石東 フレッシュアイペディアより)