-
フランク・正三・馬場から見た渡邉恒雄
1995年4月21日、東京・六本木のアークヒルズ・ANAインターコンチネンタルホテル東京で昔世話になった日本の記者やジャーナリスト達による馬場と妻・文枝への感謝のパーティーが催され、井深大、渡邉恒雄、筑紫哲也、嶌信彦、そのほかの元ワシントン特派員など多くが参加している。(フランク・正三・馬場 フレッシュアイペディアより)
-
1964年自由民主党総裁選挙から見た渡邉恒雄
もう一つが渡邉恒雄であった。渡邊は大野伴睦と親しい間柄であったが、総裁選で激しい党内争いをしていたとき、副総裁だった大野が脳溢血で倒れた。そのとき大野派では、総裁選で池田を推すか佐藤を推すかで派内で大議論の最中だった。渡邉は池田支持だったため、病床の大野に「あなたは佐藤には騙されたことがあるが、池田には騙されたことがない。今回も池田を支持すべきだ」と話したが、大野はかなり容体が悪く返事がない。渡邊は秘書の山下勇や中川一郎と仕掛け、大野が権力を維持するためには、大野が元気で、しっかり意思表示できるという証明がいると、まず面会謝絶にして、大野が毎日俳句を作っていることにしてそれを記者会見で発表した。俳句は多少心得のあった大野の第3秘書が書いた。その後、渡邉が大野事務所に行き「大野さんは池田支持に決めた」とみんなに言うと幹部の船田中や原健三郎が「大野先生の意向は決まった」と叫び、大野派40名が池田支持に回った。大野派の支持がなければ池田にとっては微妙な戦いだった。渡邊はこの功績によって池田に可愛がられるようになり、大野派を継いだ船田派番となり、旧大野派の窓口になって池田に直接閣僚人事を交渉したという。(1964年自由民主党総裁選挙 フレッシュアイペディアより)
-