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渡邉恒雄から見た石原慎太郎
旧日本軍の戦争行為に対する見方も厳しい。ミッドウェイ海戦とガダルカナル島の戦いでの大敗以来、大日本帝国陸軍・海軍から再び上申された神風特別攻撃隊に対しては「今でも許せない軍の非人間的作戦」、アッツ島の戦いで大本営が前線にいる兵士に全員自決せよとの命令を出した玉砕に対しては「前線の将兵に対する鬼畜の行為」と怒りを露わにし、石原慎太郎同様に戦陣訓を作成したとされる当時の陸軍大臣の東條英機を批判している。渡邊曰く「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」「加害者と被害者を同じ場所に祀って、同様に追悼、顕彰することは不条理ではないか」。(渡邉恒雄 フレッシュアイペディアより)
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渡邉恒雄から見た正力亨
渡邉自身、元々野球について詳しくなく、球団経営に参加するようになったのは、読売新聞社副社長時代の1989年に球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれてからである(他のメンバーは同社名誉会長の務臺光雄、同社社長の小林與三次、オーナーの正力亨)。1991年に務臺が死去した後、渡邉はしばらくは沈黙するも、務臺の一周忌が済むとその発言が徐々に球界に強い影響力を及ぼすようになり、1996年に正力を名誉オーナーに祭り上げる形で自身がオーナーに就任。「野球はやったこともなく興味もなかった」と公言するも、その後野球界をすばやく学習し、これまでの球団の人気、資金、読売新聞と日本テレビ放送網という巨大メディアを背景に、影響力のあるチームオーナーとして球界に君臨、コミッショナーの人事も決める人物と言われた。(渡邉恒雄 フレッシュアイペディアより)
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渡邉恒雄から見た金正日
2005年、読売新聞社は渡邊の主導のもとで、日本の戦争責任を反省するための「戦争責任検証委員会」を創設し、『戦争責任を検証する』という本にまとめた。日本語版と英語版のほか、2007年には中国語版も新華出版社から出版・発行された。渡邊は中国語版の序文にて、「本書を出版した動機は、日本のこの戦争に対する非人道性及び責任の所在を研究して明白にし、日本人自身の良心に照らして、正確な歴史認識を得てはじめて、被害国と率直かつ友好的な対話が可能になる、との信念からにほかならない」と記している。また朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記にも「読んでほしい」と述べている。(渡邉恒雄 フレッシュアイペディアより)