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米田純から見た渡辺直人
2004年9月より(株)楽天野球団の前身であるプロ野球準備室を兼任し球団創設メンバーに抜擢される。2004年11月2日にプロ野球参入が正式に決定したと同時に、株式会社楽天野球団取締役球団代表兼チーム統括本部長に就任、41歳での球団代表就任は当時最年少。業務ではチームの立ち上げに携わり、選手編成・チーム運営・選手育成の各部門を統括する。運営面では2005年創設当初は施設も整わない中での運営となり、春期キャンプ地として久米島を設定、二軍施設として山形県の運動施設や県庁宿舎を寮代わりに借りて運営しながら現在の仙台市泉区にある二軍施設や本球場横にあるクラブハウスを建設した。また当時はスタッフも少なく自ら練習に参加し球拾いをした事も話題となった。同時に連盟担当として日本野球機構の理事として日本野球機構理事会および12球団実行委員会に出席した。チームとしては初年度に田尾安志を監督として招聘するも最下位に低迷し3年契約の田尾監督を1年で解任、記者会見では「勝てるチームに成長するために避けて通れない道」と表現したが、この解任について地元仙台市民が反対署名活動をするなど大きな批判を受けた。翌年2006年より野村克也を招聘、編成面では2006年高校生ドラフトで田中将大、大学社会人ドラフトで永井怜や嶋基宏、渡辺直人など後の主力戦力を指名し球団創設から5年目となった2009年に球団初のパシフィック・リーグ2位となりクライマックスシリーズに初出場した。2010年以降、野村監督の任期満了に伴う退任後は、マーティー・ブラウン、星野仙一を招聘した。星野監督初年度にはシーズン開幕前のオープン戦時に東日本大震災 が発生、開幕対応と選手会の対応や遠征先での選手による災害支援活動に奔走した。(米田純 フレッシュアイペディアより)
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