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イエロー・マジック・オーケストラから見た渡辺香津美
この第1回ワールド・ツアーの模様は、翌年2月発売の3枚目のアルバム『パブリック・プレッシャー』に収録された。このアルバムにおいてサポート・ギタリストの渡辺香津美のギター・チャンネルは、渡辺が所属していた日本コロムビアの意向で全編がカットされてしまっている。(コズミック・サーフィンでは、他のマイクが拾ったギターの音をかすかに聞き取ることができる)その代わりに、坂本のシンセサイザーが後から録音されている。(後にギターのトラックは『フェイカー・ホリック』などいくつかのライヴ盤で復活する)。この事がむしろアルバム自体の仕上がりを「テクノ」風にさせており、YMOのスタイルを方向付けさせ、ファンを拡大させた事は「怪我の功名」というべき事である。後になって実況録音的『フェイカー・ホリック』を聴いたファンの多くが、疑似ライブとも言える『パブリック・プレッシャー』の方を支持したのは、ファンがYMOに何を求めているかを表している、特筆すべき事である。(イエロー・マジック・オーケストラ フレッシュアイペディアより)
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ライディーン (YMOの曲)から見た渡辺香津美
2011年、渡辺香津美がアルバム『TRICOROOLL』でカバーしている。メンバーは渡辺香津美(eg, g syn.)がオベド・カルヴェール(ds)、オラシオ・”エル・ネグロ”・エルナンデス(ds)、ヤネク・グウィズダーラ(b)(ライディーン (YMOの曲) フレッシュアイペディアより)
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坂本龍一から見た渡辺香津美
1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。またこの年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。また一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。また参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。(坂本龍一 フレッシュアイペディアより)