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習近平から見た温家宝
2012年11月の中国共産党第十八回全国代表大会を以て胡錦濤・温家宝ら第4世代の指導者は引退し、11月15日に開催された第18期1中全会において習近平は政治局常務委員に再選され、党の最高職である中央委員会総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された。習近平の総書記就任には台湾の馬英九総統が中国国民党主席の名義で異例の祝電を打っている。2013年3月14日、第12期全人代第1回会議において国家主席・国家中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握した。翌日、李克強を国務院総理(首相)に任命し、中国共産党の第5世代である習・李体制を本格的に始動させた。(習近平 フレッシュアイペディアより)
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小泉首相の靖国神社参拝から見た温家宝
2004年の元旦吉日に「初詣は日本の伝統ですから」などとして参拝。この年のサッカーアジアカップで中国の民衆の反日感情が湧き上がり、日本人選手に対してブーイングがあった。マレーシアで開催された東アジアサミットの際は、共同宣言に署名する際に、自分のペンを使わず、日本との首脳会談を拒んでいた中国の温家宝首相からわざわざペンを借りて署名し、両国の関係改善を示唆するパフォーマンスに各国首脳から拍手が送られた。中国の胡錦涛国家主席との会談が決まらなかった。(小泉首相の靖国神社参拝 フレッシュアイペディアより)
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クリシュナ・バハドゥル・マハラから見た温家宝
2008年6月、非公式に中国を訪問。当時、プラチャンダ首相就任後の訪中の準備だと見られたが、実際、プラチャンダは首相就任後まもなく北京オリンピックの閉会式に参加するという名目で訪中し、胡錦濤国家主席、温家宝首相と会談した。(クリシュナ・バハドゥル・マハラ フレッシュアイペディアより)
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政冷経熱から見た温家宝
このように、中国への日本の経済関係は活発になっているが、その一方で「過去の歴史問題」で政治分野では冷却している。とくに靖国神社への参拝にたいして、中国は日本に反発しており、2005年には、小泉純一郎首相が靖国神社の参拝を行った時には、憤青と呼ばれる若者達によるデモが発生。上海の日本総領事館の建物が損傷された。その後、小泉の後任者になった安倍晋三首相は、就任後初の海外訪問として訪中し、日中首脳会談を行う。日本の総理大臣が訪中したのは5年ぶりであった為、安倍は中国首脳部から歓迎された。2007年4月には、温家宝首相が訪日して日中首脳相互訪問再開への道筋が作られ、「政冷経熱」を打開する試みが日中両国で続けられている。(政冷経熱 フレッシュアイペディアより)
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西部大開発から見た温家宝
鄧小平の「先富起来!」の掛け声(先富論)の下、中国東部沿海地方は改革開放政策の恩恵に浴し、目覚しい経済発展を遂げているが、内陸の諸地域は立ち遅れ、沿海地方との所得格差は拡大するばかりであった。このため、江沢民政権は2000年から国務院に西部開発指導小組を新設して西部大開発計画をスタートさせ、鉄道・道路建設などのインフラ整備や投資環境の整備、科学教育の発展などの優遇政策を実施した。胡錦濤政権になっても引き継がれ、2010年7月には今後10年間続けて行くことと、2015年にはGDPをさらに2倍に引き上げることを確認した。2005年2月4日、温家宝首相は、開発戦略が始まって以来、中央政府がすでに9600億元(約12兆円)の財政資金を西部地区に投入したことを明らかにした。投資規模が6000億元以上に達する36の重点プロジェクトを起こしている。またこのような中央政府の投資が呼び水となって西部諸省のGDP成長率は、1999年に7.2パーセントだったが、2000年が8.5パーセント、2001年が8.7パーセント、2002年10.0パーセント、2003年11.3パーセント、2004年12.0パーセントと毎年のように増加した。(西部大開発 フレッシュアイペディアより)