-
細山田武史から見た横浜DeNAベイスターズ (ファーム)
横浜は前年の正捕手・相川亮二がFA移籍し、阪神から野口寿浩がFA加入し、大矢明彦監督から正捕手候補として期待されていた。キャンプでアピールを重ね、新人ながら同期の松本啓二朗、山崎憲晴と共に開幕一軍入りを果たした。4月4日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で5点ビハインドの5回裏の守備から途中出場し、4人の中継ぎ投手をリードして4イニングを1失点に抑え、プロ初出場を果たした。打撃は吉見一起の前に2打数無安打と抑えられた。野口が開幕マスク4連敗したため4月8日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初となる先発マスクを被り、工藤公康とのバッテリーを組んだが、制球が定まらず本塁打を4本浴び、5イニング8失点で敗戦した。2打席目に福田聡志から二塁打を放ってプロ初安打、その後内藤雄太のゴロで生還して初得点を記録した。先発マスクで2連敗したため再び正捕手は野口に戻ったが、4月下旬から奪い返した。4月24日の対東京ヤクルトスワローズ戦では初めて横浜のエース・三浦大輔とバッテリーを組み8回2/3で無失点に抑え、代わった石井裕也で後続も断ち、捕手としてプロ入り初の完封勝利を果たした。4月26日の同カードでは由規から押し出し四球でプロ初打点を挙げた。4月28日の対阪神タイガース戦では6回1点ビハインド二死満塁の場面で走者一掃の二塁打を放ち、プロ初タイムリー打と初マルチヒットを記録した。5月8日の対阪神戦では三浦が完封勝利し、プロ入り初めて先発投手を完封に導いた。翌日5月9日の同カードでも完封リレーで自身初の連続完封勝利となり、投手陣や首脳陣の信頼を得た。5月18日から無期限休養となった大矢監督に代わって、湘南シーレックスの田代富雄が指揮を執り始めると、新沼慎二と武山真吾の起用機会も増え、6月以降は新沼とのスタメン併用、7月以降は黒羽根利規、武山との併用となっていった。田代体制ではスクイズや盗塁アシストなど小技を見せる機会が増えた。5月29日から6月26日の10試合で先発マスクで10連敗した。8月27日の対阪神戦の7回に見逃しと空振りでリーグ31人目となる1イニング2三振を記録した。8月下旬以降は打率.160前後で、被盗塁も多くバントミスもあり、三浦先発時に2試合連続チームが敗戦したことなどから9月9日に二軍降格となった。降格後の9試合で29打数10安打、打率.345を残したが、9月18日のイースタン・リーグ対千葉ロッテマリーンズ戦の5回フライ捕球守備の際に三塁手・村田修一と交錯し、左太腿を強打して筋挫傷となり、そのまま二軍でシーズンを終え、フェニックス・リーグも不参加となった。最終的にチーム捕手最多となる88試合に出場したが、盗塁阻止率はリーグワーストの.173、打率も.158と課題を残した。チームの盗塁阻止率.181とした張本人であり、セントラル・リーグのチームの盗塁阻止率が2割に満たなかったのは1997年の中日ドラゴンズ以来12年ぶりの失態となった。62試合で先発マスクを被り、フル出場した30試合では17勝13敗、3完封勝利だった。エース・三浦大輔との15試合では7勝6敗だったが、最も多く組んだレス・ウォーランドとのコンビでは18試合で5勝9敗、その他の先発とは29試合で3勝14敗と大幅に負け越し、チームがリーグ最下位(勝率.354)となる一因を作った。(細山田武史 フレッシュアイペディアより)
-
藤江均から見た横浜DeNAベイスターズ (ファーム)
には、5月5日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと同月7日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に先発投手として一軍デビュー。同期で入団した細山田武史とのバッテリーで、6回2/3を投げて6被安打、奪三振4、自責点1に抑えた。横浜の新人選手によるバッテリーが一軍公式戦に出場した事例は横浜大洋ホエールズ時代のに、石井忠徳(後の石井琢朗、当時は投手)と谷繁元信が10月16日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でバッテリーを組んで以来であった。なお、ファームチームの湘南シーレックスでは、イースタン・リーグ公式戦で防御率1.97、勝利数9、勝率.750を記録。リーグ最優秀防御率・最多勝利投手賞・勝率1位・優秀投手の4タイトルを獲得した。(藤江均 フレッシュアイペディアより)
-
岡島秀樹から見た横浜DeNAベイスターズ (ファーム)
はキャンプで左太ももを痛めた影響もあり、開幕二軍スタートとなった。6月9日に一軍登録され、同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で移籍後初登板を果たした。この試合は無失点だったが、2日後の11日は1点リードの6回に登板するも満塁のピンチを招き、松井稼頭央に逆転満塁本塁打を打たれ、そのまま敗戦投手となり、翌12日に二軍落ちとなった。2軍調整を経て、9月6日に1軍登録された。その後は復調したが、二軍生活が長かったこともあり、10試合の登板に終わり、2敗2ホールド、防御率8.59と不本意な成績でシーズンを終了し、10月3日に戦力外通告を受けた。12月2日付で、日本野球機構(NPB)から自由契約選手として公示された。(岡島秀樹 フレッシュアイペディアより)
-
横浜FC LEOCトレーニングセンターから見た横浜DeNAベイスターズ (ファーム)
元々は保土ヶ谷大洋球場(ほどがやたいようきゅうじょう)として開場し、1980年からプロ野球・セントラル・リーグのチーム・横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)が二軍(現:横浜DeNAベイスターズ \(ファーム\))のホームスタジアム兼練習場として使用していた。しかし、1986年に平塚球場が完成すると同チームの二軍は移転、その後も練習場として使用されていたが、1987年には横浜大洋ホエールズ総合練習場(現:横浜DeNAベイスターズ総合練習場)が完成し練習場も移転。野球場としては供用廃止され、その後はパターゴルフ場として使用されていた。(横浜FC LEOCトレーニングセンター フレッシュアイペディアより)
-
上府中公園小田原球場から見た横浜DeNAベイスターズ (ファーム)
全国高等学校野球選手権神奈川大会やプロ野球・イースタン・リーグ(横浜DeNAベイスターズ主催試合)に使用される。(上府中公園小田原球場 フレッシュアイペディアより)