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倉本昌弘から見た湯原信光
初めて憧れたゴルファーは史上最強のアマチュアゴルファー・中部銀次郎。崇徳高等学校時代には、全日本ジュニアチャンピオンになるなど「広島に倉本あり」と大いに名を馳せた。また小柄な体にパワーを付けるため、高校時代からアスレチックジムに通い、筋力トレーニングを取り入れた。アメリカの情報を仕入れ、当時からビタミンやタンパク質を摂取していたという。日大で同窓の湯原信光や牧野裕らが興味を持って彼らに摂取法を教えたと話している。「ポパイ」というあだ名は高校時代に付けられたもの。筋トレの先駆者である。ダンベルなど器具を使った筋トレは、アメリカへキャンプやトレーニングに行った一部の野球選手が1960年代から少しずつ始めたものと言われている。一般的に広まったのは、1976年に創刊された「POPEYE(ポパイ)」の筋トレ特集や、チーム全体で導入したと言われる1970年代後半の広岡ヤクルト、1980年代初めの高校野球・池田高校の活躍辺りからである。倉本は1970年代中頃からシステマティックに練習に取り入れていたと、1981年プロデビュー年の週刊誌のインタビューで話している。(倉本昌弘 フレッシュアイペディアより)
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