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倉本昌弘から見た湯原信光
崇徳高等学校時代には、全日本ジュニアチャンピオンになるなど「広島に倉本あり」と大いに名を馳せた。また小柄な体にパワーを付けるため、高校時代からアスレチックジムに通い、筋力トレーニングを取り入れた。アメリカの情報を仕入れ、当時からビタミンやタンパク質を摂取していたという。日大で同窓の湯原信光や牧野裕らが興味を持って彼らに摂取法を教えたと話している。「ポパイ」というあだ名は高校時代に付けられたもの。筋トレの先駆者である。ダンベルなど器具を使った筋トレは、アメリカにキャンプやトレーニングに行った一部の野球選手が1960年代から少しずつ始めたものと言われている。一般的に広まったのは、1976年に創刊された「POPEYE(ポパイ)」の筋トレ特集や、チーム全体で導入したと言われる1970年代後半の広岡達朗監督のヤクルトスワローズ、1980年代初めの高校野球・徳島県立池田高等学校の活躍辺りからである。倉本は1970年代中頃からシステマティックに練習に取り入れていたと、1981年プロデビュー年の週刊誌のインタビューで話している。(倉本昌弘 フレッシュアイペディアより)
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1994年のテレビ (日本)から見た湯原信光
フジテレビ系の報道・情報番組が大改編。まず朝の情報番組『めざましテレビ』がスタート。初代司会者はNHKを退職したばかりの元同局アナウンサー大塚範一と同局の八木亜希子、向坂樹興両アナウンサー(2017年現在も継続中)。『おはよう!ナイスデイ』は司会にTBS系の朝の情報番組『ビッグモーニング』の司会を務めたタレントの生島ヒロシを迎え2時間番組として8時スタートとなってリニューアル。アシスタントは大林典子アナウンサーが3年ぶりに登板。『FNNスーパータイム』は『報道2001』のアシスタント・松山香織キャスターを迎え、6年ぶりにメインアンカーマンがフジテレビアナウンサーと元他局のアナウンサー体制となった。またスポーツコーナーは慶應義塾大学蹴球部監督に就任した元・2代目アンカーマンの上田昭夫(2015年没)と『プロ野球ニュース』から移動の中井美穂アナウンサーが担当。深夜の報道番組で平日に『ニュースJAPAN』がスタート、初代司会者は『スーパータイム』から移動の安藤優子と元NHKアナウンサー宮川俊二、ジャーナリスト木村太郎の3人( - 2015年3月)。新生『プロ野球ニュース』は福井謙二アナウンサーと志岐幸子が担当。休日には『スポーツWAVE』がスタート、土曜日司会者は元プロレスラーの高田延彦と元バドミントン選手の陣内貴美子、川端健嗣アナウンサーらが、日曜日司会者はプロゴルファーの湯原信光、元プロ野球選手で野球評論家の田尾安志、木幡美子アナウンサーらが担当( - 1995年3月)。松山が抜けた『報道2001』は共同テレビ所属のフリーアナウンサー・関戸めぐみが担当。これに伴い『ポンキッキーズ』が17時台に移行となった。(1994年のテレビ (日本) フレッシュアイペディアより)