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後光明天皇から見た源氏物語
天皇は武芸を学ぶなど激烈で直情径行的な性格の持ち主であり、反幕府的な態度をとっていたともいわれるが、その反面で幼少から学問を好み、特に儒学や漢学を尊重して、これを奨励した。初め明経家の伏原賢忠から『周易』の伝授を受け、後に程朱学派に傾倒すると、二条康道の推薦で民間から朝山素心を招き入れて進講を受けている。慶安4年(1651年)9月には、儒者藤原惺窩の功績を称えてその文集に勅序を与えた。天皇が庶民の書に序文を賜うことは、これが最初という。また、漢詩文の詩作を好み、御集に『鳳啼集』がある。このような経学への傾倒に対し、和歌や『伊勢物語』・『源氏物語』などの古典を柔弱として斥ける風もあったが、在位中は朝儀再興に心を砕いており、正保3年(1646年)に神宮例幣の儀を再興した。釈奠や大学寮の復興、服制の改革をも意図していたというが、これらは崩御のために実現しなかった。(後光明天皇 フレッシュアイペディアより)
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白居易から見た源氏物語
白居易の詩は中国国内のみならず、日本や朝鮮のような周辺諸国の人々にまで愛好され、日本には白居易存命中の承和5年(838年)に当時の大宰少弐であった藤原岳守が唐の商人の荷物から“元白詩集”(元稹と白居易の詩集)を見つけてこれを入手して仁明天皇に献上したところ、褒賞として従五位上に叙せられ、同11年(844年)には留学僧恵萼により67巻本の『白氏文集』が伝来している。平安文学に多大な影響を与え、その中でも閑適・感傷の詩が受け入れられた。菅原道真の漢詩が白居易と比較されたことや、紫式部が上東門院彰子に教授した(『紫式部日記』より)という事実のほか、当時の文学作品においても、『枕草子』に『白氏文集』が登場し、『源氏物語』が白居易の「長恨歌」から影響を受けていることなどからも、当時の貴族社会に広く浸透していたことがうかがえる。白居易自身も日本での自作の評判を知っていたという。(白居易 フレッシュアイペディアより)
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源氏物語×大黒摩季songs〜ボクは、十二単に恋をする〜から見た源氏物語
『源氏物語×大黒摩季songs〜ボクは、十二単に恋をする〜』(げんじものがたり・おおぐろまき・ソングス・ボクは、じゅうにひとえにこいをする)は、2010年10月DHE@stageにより天王洲銀河劇場で公開された日本のミュージカルである。2012年5月に再演。(源氏物語×大黒摩季songs〜ボクは、十二単に恋をする〜 フレッシュアイペディアより)