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滝沢秀明から見た渋谷すばる
14,5歳の頃から社長のジャニー喜多川にリーダーとしての素質を買われ、ジャニーズJr.のリーダーとして、のちに嵐や関ジャニ∞となるメンバー、山下智久、生田斗真、風間俊介らを含むJr.120人をコンサートなどでまとめ、「東のタッキー、西のすばる」とも称されたJr.黄金期をけん引した。雑誌ではセンターポジションを務めるなど絶大な人気を誇り、別格扱いでもあったことから「小さいジャニーさん」とも言われていたという。しかしプライベートも含めてJr.メンバーに何かがあると代表して謝りに行くなど同時に責任も負っており、大き過ぎる責任に16歳の頃に1度引退を考えたこともあるというが、母親の「帰ってきなさい」という言葉で逆に思いとどまったという。自身がデビューしてJr.を卒業した後も、舞台などで後輩Jr.たちと過ごす機会が多く、ジャニー喜多川がピックアップしてきた子たちの素質をなんとか見つけて育てたいという思いで、後輩を頭ごなしに怒らない、喧嘩をした時にはキスをさせて仲直りさせるなど独自の教育論をもってJr.の“教育係”として力を注ぎ続けている。その結果デビューを果たしたのがKis-My-Ft2やA.B.C-Zである。(滝沢秀明 フレッシュアイペディアより)
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