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2013年広島県知事選挙から見た無党派層
今回の知事選では、現職の湯崎の1期目の県政運営への評価が最大の争点になった。その湯崎は、観光キャンペーン「おしい!広島県」やドクターヘリの運用開始など1期目の実績を強調。更に、自民・公明・民主の与野党3党や各団体などの推薦を受け、3党の支持層や無党派層の票も確実にまとめあげ、共産党推薦の大西を大差で下した。(2013年広島県知事選挙 フレッシュアイペディアより)
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2007年東京都知事選挙から見た無党派
一方で、同年7月に予定されていた第21回参議院議員通常選挙を前に自民党との対立姿勢を示したい民主党が独自の対立候補擁立を模索したが、都議会民主党は知事与党であり、菅直人擁立をめぐる党内の混乱を招いて失敗に終わった。最終的に民主党は菅のブレーンでもある五十嵐敬喜が擁立に大きく関与した浅野の支援を決定して、独自候補の擁立を断念した。また石原も自民党推薦を一度受諾したが、最終的に断った。しかし、石原は「支援はいくらでも受ける」と自民・公明両党に支援を要請し、浅野も民主・社民に支援を要請しつつ、共産党には出馬辞退を迫った。この選挙を巡っては無党派層の拡大の前に政党色を隠し、事実上の支援に限定する構図となっている。黒川は、自身が出馬当日立ち上げた政党の公認候補として立候補し、吉田は共産党の推薦を受けて立候補した。(2007年東京都知事選挙 フレッシュアイペディアより)
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2013年兵庫県知事選挙から見た無党派層
現職の井戸は、これまでの3期12年の県政運営の実績を強調。争点に浮上した、南海トラフ巨大地震に対する備えを始めとした災害・エネルギー対策や産業振興策などに対して、原発1基分に当たる「再生可能エネルギーの確保」や「認定こども園の倍増」など具体的な数値目標を公約に掲げ、無党派層などの浮動層の票を確実に獲得。これに加え、支援を表明した自民・民主・公明・社民の各党の援護のもとで各党支持層の票も堅くまとめ上げ、高齢・多選批判もある中、同県知事選最高得票数で圧勝した。(2013年兵庫県知事選挙 フレッシュアイペディアより)
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2014年山口県知事選挙から見た無党派層
前職の山本県政継承を掲げる村岡は、総務省などでの行政経験を強調するとともに、山本が進めてきた地域経済の活性化などを訴えた。推薦を受けた自民・公明両党の支持層を中心に、無党派層からの支持を確実に堅めて対抗の高邑と藤井を圧倒し初当選を果たした。(2014年山口県知事選挙 フレッシュアイペディアより)
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ノンセクト・ラジカルから見た無党派
「ノンセクト」は「(既存の)セクト(sect; 党派)に属していない、無党派」の意。「ラジカル」(radical) は「急進的」の意。(本来の意味は、ラディッシュと同語源の「根」から派生する「根底的・根源的」)(ノンセクト・ラジカル フレッシュアイペディアより)
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2002年横浜市長選挙から見た無党派層
1990年から3期12年市長の座にあり、自民党、民主党(但し県連レベルであり党本部は中立)、公明党、社民党、保守党のオール与党からの推薦、さらに連合の支援を受けた組織選挙を展開した高秀に対して、改革派のイメージと若さを売りに、一度出馬を表明しながら辞退した26歳の竹田恒泰、更に自民党総裁だが郵政民営化論者の党派を超えた同志小泉純一郎(当時)や民主党の一部からも非公式の支持を受け、無党派層を取り込んだ中田が勝利した選挙である。この当選により中田は政令指定都市ではもっとも若い市長(当選当時37歳)となった。なお中田は高秀が初当選した1990年横浜市長選挙の時点で25歳と被選挙権を有していたが不出馬、高秀陣営の選挙ボランティアをつとめている。(2002年横浜市長選挙 フレッシュアイペディアより)
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高邑勉から見た無党派
2012年6月27日、民主党に離党届を提出、同年7月3日に離党が承認され、同年7月10日に衆議院議長に対し議員辞職願を提出し、許可された(山口県議会議員の三浦昇が繰り上げ当選)。選挙戦では「脱既成政党」を掲げ、基金創設による産業再生を軸に民主党の政策と異なる独自色の強い政策を掲げるも、「脱原発」を旗印に同じく政党の支援を受けずに立候補した飯田哲也に無党派層や一部の民主党支持層(民主党は一時、飯田を独自候補に据える動きがあった)を喰われる結果となり埋没、55,418票を獲得するも山本、飯田に次ぐ3位で落選した(得票率は10.4%で、供託金没収は免れた)。(高邑勉 フレッシュアイペディアより)
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