
岩富藩から見た犬山城
「地黄八幡」として有名な勇将・北条綱成の孫・北条氏勝は、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に玉縄城で善戦したが、本多忠勝や榊原康政の説得を受けて徳川家康に降伏し、やがてその家臣となった。この氏勝が小田原征伐後、原氏に替わって下総国岩富に1万石を与えられ、岩富藩を立藩したのである。氏勝は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで尾張国犬山城を守備する功を挙げた。慶長16年3月に氏勝は死去し、後を養嗣子(保科正直の四男)の北条氏重が継いだ。氏重は慶長18年冬、下野富田藩に移封となったため、ここに岩富藩は廃藩となった。(岩富藩 フレッシュアイペディアより)