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古河機械金属から見たシーメンス
創業は明治8年(1875年)で、創業者は古河市兵衛。古河電気工業、富士電機、富士通とともに「古河グループ(古河三水会)」の中核企業であり、旧・古河財閥の源流企業にして古河電工などの母体企業でもある。明治10年に足尾銅山の開発に着手、これが日本の銅産出量トップとなる(明治17年)など大鉱山に成長したことで古河財閥の礎を築く。その後、古河潤吉(2代目社長)・古河虎之助(3代・5代目社長)の下、足尾銅山を基盤に事業の近代化・企業の多角化を推進し、鉱山開発(古河機械金属)→電線製造(古河電工)→電気機器製造(富士電機)→通信機器製造(富士通)などと裾野を広げ、古河グループ各社が古河機械金属から様々な産業へと分社・独立していった(富士電機や富士通の「富士」は、古河の頭文字「ふ」とドイツ社シーメンスの「じ」に由来する)。また、急成長の過程で公害問題に直面したもののこれを克服し、近代日本産業の発展に大きく貢献した。(古河機械金属 フレッシュアイペディアより)
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秘話から見たシーメンス
ドイツでもこのような方式はよく知られていた。ドイツ軍は1944年末に国内で撃ち落とされたムスタングでSIGJIPを見つけ分析を行なっていた。時間単位のブロックでスクランブルを行う秘話方式についてドイツ側も研究しており、ヨーロッパでの発明者の名前からこの方式は「ティーゲルシュテット」(Tigerstedt) と呼ばれていた。当時のドイツの専門家はムスタングから発見された秘話装置について、必要な機材があれば10分で解読可能、とコメントしている。ドイツでも同様の方式の装置の試作を行っていたが秘話性が十分ではなく、シーメンス社で音声を三つの周波数のブロックに分割してそれぞれ独立に時間単位のスクランブルを行う改良を行ったりしたが、機械が大幅に大きくなったにもかかわらず満足した性能が得られなかった。そのためSIGJIPと同じような装置がドイツで使われることはなかった。(秘話 フレッシュアイペディアより)
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レーティッシュ鉄道Ge4/4 II形電気機関車から見たシーメンス
1960年代のレーティッシュ鉄道本線系統で主力として運用されていた1910年代製のGe2/4形、Ge4/6形、1920年代製のGe6/6Iといった旧型電気機関車の代替と、旅客及び貨物輸送量の増加に対応するために計画され、1973年と1984-85年にそれぞれ10両と13両が製造された電気機関車で、当初の設計要件は35パーミルで200tを牽引して52km/hで、45パーミルで150tを牽引できる連続定格出力1600kWの4軸機というものであった。当時レーティッシュ鉄道ではサイリスタ位相制御の実用化を目指しており、シーメンス製の制御装置を搭載した1969年製のTe2/2 74-75形試作小形入換用電気機関車の導入および、BBC製の制御装置を搭載したベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の試作改造機であるRe4/4形161号機を借用してのクール - ドマート/エムス間の1435mm/1000mmの三線区間での試運転などを実施しており、その結果を本機及び1971年から製造されたBe4/4 511-516形の実用化に結び付けている。本機は車体、機械部分、台車の製造をSLM、電機部分、主電動機の製造をBBCが担当し、価格は1両約3,800,000スイス・フラン(1984年製造分)であり、サイリスタ位相制御により1時間定格出力1700kW、牽引力116.5kNを発揮する汎用機となっており、35パーミルで200tを52km/hで牽引可能な性能を持つ。それぞれの機番とSLM製番、製造年、機体名(主に沿線の街の名称、各機体にエンブレムが設置される)は下記のとおりであり、総数23両はレーティッシュ鉄道の機関車では最大勢力である。なお、本機を3台車6軸、2車体連接としたGe6/6III形711、712号機の製造も計画されたが実現はしていない。(レーティッシュ鉄道Ge4/4 II形電気機関車 フレッシュアイペディアより)
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磁気浮上式鉄道から見たシーメンス
磁気浮上鉄道の研究が本格化したのは1960年代に入ってからで、各国で研究が始まった。特に旧西ドイツは国家的支援を受けて、メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム (MBB) 社が1966年から本格的に研究を始め、1971年、Prinzipfahrzeug(車上一次リニア誘導モータ)が90km/hの記録をつくる。これは世界で初めての有人の磁気浮上鉄道である。また、1975年にKomet (Komponentenmeßtrager) が14mmの電磁吸引浮上で水蒸気ロケット推進ながら401.3km/hの記録をマーク。また、日本のHSSTの一部の技術の導入元でもあったクラウス=マッファイ社の製造したトランスラピッド・プロジェクトのTR-02号機が1971年に164km/hをマーク。またシーメンス社が中心となり、超電導による電磁誘導式浮上のEET-01が1974年に280mの円形軌道で230km/hの走行実験を行った。ドイツでは磁気浮上式高速鉄道を実現するために1970年代初頭にトランスラピッドに一本化する際に軌道を簡略化できる車上一次式リニア誘導モータを選択せず、より高速化に適するが費用のかかる地上一次式リニア同期モータを選択した。そのため、当時、先端の開発が進められていた車上一次式吸引式磁気浮上(クラウス=マッファイ・トランスアーバン)の技術は不要になり、日本や韓国に技術供与された。開発元のドイツでは地上一次式リニア同期モータを採用した事が建設費が高騰する一因となり低迷したが、車上一次式リニアモータの技術を供与された国々は供与された技術を基にそれぞれの国で発展を遂げ実用化に至った。(磁気浮上式鉄道 フレッシュアイペディアより)