-
ゴー!ゴー!若大将から見た琵琶湖
ラリーの物語部分は、東宝映画で小林桂樹主演の『サラリーマン出世太閤記 課長一番槍』(1959年、筧正典監督・笠原良三脚本)をほぼ踏襲したリメイクとなっている。なお、ラリー指導は出演者の江原達怡がおこなっており、鈴鹿サーキットでの若大将が試乗するシーンもA級ランセンスを持つ江原が吹き替えとして乗っていた。ラリーシーンや駅伝シーンのため鈴鹿サーキット、京都、琵琶湖、飛騨、高山など中部関西地方でロケーションされた。ラリーには名古屋工業大学の自動車部がエキストラで参加し、全面協力した日産自動車からも新車5台が参加した。(ゴー!ゴー!若大将 フレッシュアイペディアより)
-
西明寺 (滋賀県甲良町)から見た琵琶湖
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば平安時代初期、三修上人の創建という。三修上人は、修験道の霊山として知られる伊吹山(滋賀・岐阜の県境にある)の開山上人と伝えられる半ば伝説化した行者である。伝承によれば、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。(西明寺 (滋賀県甲良町) フレッシュアイペディアより)
-
-
中山道幹線から見た琵琶湖
一方、同時期の調査により、京都 - 敦賀間および米原から加納(岐阜)を経て熱田に至る路線の測量を行い、1876年(明治9年)4月にやはりボイルが報告書を提出した。京都から敦賀の経路は、京都駅から南へ出発して大きく迂回して大津へ達する。そこから琵琶湖東岸の平坦な土地を、瀬田川や野洲川を渡って進み、米原へと至る。米原から北上し、長浜を経て余呉湖と琵琶湖の間の山地を通り抜けて塩津へ至る。塩津からは山岳地帯を屈曲しながら急勾配で登り、沓掛から国道8号に近い経路をたどって福井県側へ抜け、敦賀へと至る。合計して75.25マイル(約120.4キロメートル)である。(中山道幹線 フレッシュアイペディアより)