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琵琶湖から見た瀬戸内海
滋賀県の面積の6分の1を占め、流れ出る水は瀬田川・宇治川・淀川と名前を変えて、大阪湾(瀬戸内海)へ至る。また、湖水は淀川流域の上水道として利用され、京都市は琵琶湖疏水から取水している。陸上から見た地形により最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んだ北側部分を北湖(太湖)、南側部分を南湖と呼んでいる。一方、湖底地形から見ると、北湖盆 (North Basin)、中湖盆 (Central Basin)、南湖盆 (South Basin) に分けられ、北湖盆と中湖盆の境界は沖島北方付近で鞍状の湖底地形が存在している。北湖は面積623km 平均水深41m、南湖面積58km 平均水深4m。(琵琶湖 フレッシュアイペディアより)
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琵琶湖から見た福井県
琵琶湖が淀川となって大阪湾に流れる位置から、若狭湾で陸揚げされた物資が琵琶湖上の水運を介して京都や大坂に輸送された。こうした輸送は明治以降もしばらく隆盛であったが、陸上交通の発達によって次第に斜陽となった。一方、高度経済成長期には琵琶湖から運河を掘削して日本海や太平洋・瀬戸内海を結ぶ運河構想が持ち上がった。当初は、琵琶湖から日本海と瀬戸内海を結ぶ阪敦運河構想を福井県知事の北栄造が調整し始めたが、特に四日市市長の平田佐矩が熱心だったこともあり、福井県・滋賀県・岐阜県・愛知県・三重県および名古屋市・敦賀市・四日市市の間で、総工費2500億円?3500億円をかけ若狭湾?琵琶湖?伊勢湾を結ぶ中部横断運河の建設期成同盟が結成され、自民党副総裁の大野伴睦が会長に就任した。しかし、大野や平田が相次いで死去したことや、北および敦賀市長の畑守が相次いで落選するなど推進の中心人物を失い、1970年には中部圏開発整備本部が調査の打ち切りを発表した。(琵琶湖 フレッシュアイペディアより)
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琵琶湖から見た大阪湾最低潮位
東京湾平均海面 (T.P.) 基準で+84.371 m、大阪湾最低潮位 (O.P.) 基準で+85.614 mの高さが琵琶湖基準水位 (B.S.L.=Biwako Surface Level ) と定められており、「琵琶湖の水位」とはB.S.L.を±0 mとした水位のことをいう。B.S.L.は、1874年(明治7年)に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断された点として定められたものであるが、その後、瀬田川の改修によって流出量が多くなったことなどにより、水位がB.S.L.以下になることが多くなった。現在では、B.S.L.の値がおおむね満水位となるように水位の調整が行われている。(琵琶湖 フレッシュアイペディアより)