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高橋信三から見た産業経済新聞社
しかし、MBSテレビは当初希望していたラジオ東京(KRT、現在のTBSテレビ)との東阪間ネットを断られ、またニッポン放送専務鹿内信隆との親交から実現しかけたフジテレビとのネットワークも社長水野成夫が先に開局した大関西テレビ(KTV、現在の関西テレビ)の設立母体だった産経新聞社社長に就いた絡みでKTVに奪われてしまう。結局民間初の教育テレビ局として準備が進められていた日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)との間でのネットワークを組むこととなり、MBSテレビは劣勢を余儀なくされたが、これを機に在阪局随一のキー局を目指し、在京各局と対等に渡り合う体制作りを進めた。(高橋信三 フレッシュアイペディアより)
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