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田中康夫から見たみずほフィナンシャルグループ
1980年、第1作・小説『なんとなく、クリスタル』を執筆し、同年同作で「文藝賞」を受賞する。同作が執筆された背景には田中の所属していたサークル「一橋マーキュリー」での横領事件(サークル員全員の合意を取らずに資金を流用してサークル用に神宮前のマンションを借りていた事件)がある。当時田中は日本興業銀行(現みずほ銀行ないしみずほフィナンシャルグループ)から内定を得ていたが、事件を起こしたとして卒業予定日の直前に停学処分を受け留年し、そのあおりで日本興業銀行からもらっていた内定は取り消された。この停学期間を利用して、『なんとなく、クリスタル』は執筆された。(田中康夫 フレッシュアイペディアより)
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田中康夫から見たテレビ朝日
「テレビは見るものではなく出るもの」が持論で、ほとんどテレビ視聴の習慣はないと1994年当時の「ペログリ日記」内で記している。「なんとなく、クリスタル」で話題を呼んだ後、フジテレビ「笑っていいとも!」1982年10月から1985年3月まで金曜日のコーナー「五つの焦点(フォーカス)」にレギュラー出演したのを皮切りに、テレビ朝日の女性向け情報番組「Oh!エルくらぶ」(1986年 - 1992年、番組自体は1997年まで)、読売テレビのワイドショー「Beアップル2時!」(1992年 - 1993年)、新党日本の広報番組「田中康夫のにっぽんサイコー!」(BS11)では司会も務めた。(田中康夫 フレッシュアイペディアより)
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田中康夫から見たジャーナリスト
「大手マスコミの情報独占を止めさせるため」として打ち出し、長野県知事主催の記者会見とした。記者クラブに加盟できない、多くのジャーナリストや外国メディア、雑誌から賞賛された。しかし、これにより既成権益(記者会見への出席独占だけでなく、記者クラブ事務所、およびその光熱費の提供が得られる)を死守しようとする、新聞社をはじめとする大手マスメディアから激しく非難され、読売新聞や信濃毎日新聞などの県内外の大手マスコミとの確執を生むきっかけとなった。常に記者クラブを利権談合の頂点と指摘していた親田中派のコラムニスト・勝谷誠彦は、「登場した時は万歳と持ち上げておいて、記者クラブの利権が奪われると分かった途端に反田中派になって極端なネガティブキャンペーンにより落選に追い込んだ」と大手マスコミ、特に顕著だった信濃毎日新聞の姿勢を痛烈に非難した。(田中康夫 フレッシュアイペディアより)
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