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田中眞紀子から見た古賀誠
2000年5月14日に死去した小渕恵三について、2001年4月14日、自民党総裁選に立候補した小泉純一郎の応援演説の際に「小渕の恵ちゃんなんか、『僕は一年間で借金百兆円作った、ガハハ』なんてカブ上げて喜んで頭がパチッと切れて、オブチさんがオダブツさんになっちゃったんですからね。これも自業自得なんですよ」と発言した。この発言は後にマスコミや世間から「お陀仏発言」と呼ばれた。翌日の4月15日に渋谷で街頭演説をしたときも、「小渕の恵三さんという人は、『私は一年間で百兆円の借金を作った、日本一の借金王だ』とカブを持ち上げたら、コロッと死んだじゃないですか。あれをお陀仏さんと言うんですよ、オダブツさん」と発言した。2001年4月17日付の古賀誠自民党幹事長に送った手紙の中で「14日以降は一度もその発言はしておりません」と書いたが、事実とは異なっていた。4月18日、再び手紙を送り謹慎に入ることを宣言した。しかし、翌19日の会見で「謹慎してもダメなものはダメと判決が下っている。だから活動を再開します」と言って、活動を再開した。小泉内閣の外務大臣就任後の2001年5月14日に開かれた衆議院予算委員会においてこの「お陀仏発言」について質問され、「結果として言葉が走りましたことは認めます。そして、今日は小渕元総理の御命日であるということも承知いたしておりますので、御温容をしのびながら、以後、反省をいたします」と答えた。(田中眞紀子 フレッシュアイペディアより)
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