-
日本のアナウンサーから見た田丸美寿々
フジテレビは、かつて「専属リポーター・司会者募集」の名目でアナウンサーを募集していた。これは当時同局に存在していた「労組・第二労組」の2組織に対し、創業者の鹿内信隆が、組合所属のアナウンサーをそのまま“アナウンサー”と呼び、第二組合の所属者を“リポーター”(正式名は「報道局解説放送室付リポーター」)や「司会者」と呼んで差別化を図っていた、いわゆる会社の内紛に起因した事象である。どちらも業務内容は全く同じで、これがアナウンサー採用試験と知らずに受験した者もいた程だった。田丸美寿々や辛坊治郎らもその一員とされる。辛坊はこの事実を知りフジテレビに入社せず、読売テレビに入社した。(日本のアナウンサー フレッシュアイペディアより)
-
-
スポンサーサイト