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  • おもしろクイズBOX

    おもしろクイズBOXから見た田丸美寿々田丸美寿々

    司会は桂文珍、アシスタントは初代が田丸美寿々(当時は美里美寿々。1985年3月に米国留学の為に降板)、2代目は白石マル美(当時は白石まるみ。最晩年のアシスタント)。おもしろクイズBOX フレッシュアイペディアより)

  • 城ヶ崎祐子

    城ヶ崎祐子から見た田丸美寿々田丸美寿々

    都立西高校、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業後、1977年フジテレビに報道局所属のレポーターとして入社(当時の鹿内信隆会長の方針により、フジテレビがアナウンサーの正社員は男子しか採用していなかったため)。同期は益田由美。1981年4月1日からアナウンサーとして正式に採用される。フジテレビの先輩である田丸美寿々も同じ東京外国語大学外国語学部英米語学科出身である。1983年4月から1985年3月までの2年間ニューヨーク支社特派員なる。、城ヶ崎祐子 フレッシュアイペディアより)

  • 巨泉のワールドスタークイズ

    巨泉のワールドスタークイズから見た美里美寿々田丸美寿々

    回答者/タモリ、美里美寿々、江本孟紀ら6人巨泉のワールドスタークイズ フレッシュアイペディアより)

  • 選挙開票特別番組 票決!ライブ

    選挙開票特別番組 票決!ライブから見た田丸美寿々田丸美寿々

    主なキャスター:筑紫哲也・田丸美寿々・松原耕二(1998年 - 2001年)・杉尾秀哉(2003年・2004年)・草野満代・佐古忠彦選挙開票特別番組 票決!ライブ フレッシュアイペディアより)

  • JNN票決ライブ

    JNN票決ライブから見た田丸美寿々田丸美寿々

    キャスター:筑紫哲也、田丸美寿々、杉尾秀哉JNN票決ライブ フレッシュアイペディアより)

  • 安藤優子

    安藤優子から見た田丸美寿々田丸美寿々

    「ニュースステーション」降板後はテレビ出演を止め、28歳の時に大学へ復学したが、今度はフジテレビから声を掛けられ、1987年10月から「FNNスーパータイム」に出演。仕事と勉学を両立させ、1988年春に上智大学を卒業。1991年の湾岸戦争では日本人ジャーナリストで、唯一現場取材をおこなった。1993年、かつてコンビを組んだ同番組初代キャスター・逸見政孝の葬儀をレポート。生放送中に号泣した。その後、1994年4月から2000年3月まで深夜枠の「ニュースJAPAN」にてキャスターを務める。他にも多くの報道特別番組に出演。小谷真生子、小宮悦子、田丸美寿々、三雲孝江らと共に、日本を代表する女性キャスターに成長。理想の上司ランキングでは常に上位にランクインしていた。安藤優子 フレッシュアイペディアより)

  • ザ・スクープ

    ザ・スクープから見た田丸美寿々田丸美寿々

    1990年10月、『ザ・スクープ』とタイトル変更。女性メインキャスターが田丸美寿々(出演開始当時は美里美寿々)に交代する。同時にストレートニュース部分を『530ステーション』として分離、特集に特化した番組となり、このスタイルが7年間続く(1993年4月に進行が三崎由紀に交替)。ザ・スクープ フレッシュアイペディアより)

  • 神田康秋

    神田康秋から見た田丸美寿々田丸美寿々

    広島県安芸郡府中町出身。広島県立海田高等学校、東洋大学社会学部卒業後、1975年、テレビ新広島の開局とともに入社した。系列局の同期入社にフジテレビの堺正幸、酒井ゆきえ(現・タレント)、田丸美寿々(現・ニュースキャスター)、和田圭がいる。神田康秋 フレッシュアイペディアより)

  • 阿部知代

    阿部知代から見た田丸美寿々田丸美寿々

    元々、他局に比して女性アナウンサーの立場が不利であったフジテレビだが、特に報道では1978年に阿部の11期先輩の田丸美寿々が初めてニュース番組の司会に抜擢されたものの、1980年代になっても女性アナウンサーが一人でニュースを読む事はなく、『FNNレインボー発』等のフジテレビの定時ニュースは長年にわたり男性アナウンサー限定の仕事であった。現在のように女性も担当するようになったのは、1990年代初頭に阿部が報道上層部に直訴したことによる。そのとき女子アナとして初めて1ショットのニュース(週末の『産経テレニュースFNN』)にキャスティングされ、これが功を奏して、翌1994年には安藤優子がメインの『ニュースJAPAN』もスタートした。阿部知代 フレッシュアイペディアより)

  • モーニングショー

    モーニングショーから見た田丸美寿々田丸美寿々

    1986年10月にメイン司会が江森から美里美寿々に、サブ司会も1980年4月から6年半務めてきた柴田美保子、八波一起から高井正憲(当時テレビ朝日アナウンサー)に交代するという司会の総入れ替えを実施した。硬派路線に舵を切ったが、芸能情報を扱わない番組内容が不評となり、視聴率で苦しむこととなると同時に、本番組終了までメイン司会が1〜2年で交代するなど低迷してしまう。1987年1月には、サブ司会をわずか3ヶ月で高井から寺崎貴司に交代した。モーニングショー フレッシュアイペディアより)

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