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田丸美寿々から見たNHKワールド・ラジオ日本
小学校4年の時、父親が日本のNHK国際放送に就職したため帰国し、初めは東京都小金井市、中学校から埼玉県草加市、所沢市に居住した。これは昭和30年代後半のことであり、いわゆる帰国子女のはしりだったともいえる。アメリカでも日本語を勉強していたが、学校では広島弁を笑われて苛められ、高熱が続いて登校拒否にもなった。自分が少し解放されたのは大学に入ってからという。(田丸美寿々 フレッシュアイペディアより)
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田丸美寿々から見たザ・スクープ
翌年帰国した田丸は初め、テレビ朝日と専属契約を締結、同局の番組、『モーニングショー』、『ザ・スクープ』、『ナイトライン』、『朝まで生テレビ!』、『ザ・ニュースキャスター』などに出演した。これらの活動を通して、田丸は女性フリーキャスターの草分けともなった。1986年、フィリピンの2月革命直後のマニラに乗り込み、就任直後のアキノ大統領にインタビューを敢行、日本大使館の強いバックアップもあって世界のメディアに先駆けこれを成功させた。『ザ・スクープ』でコンビを組んだ鳥越俊太郎は、「当時はしょっちゅう喧嘩して、田丸に殺意を覚えたが、今は感謝している」と述べている。(田丸美寿々 フレッシュアイペディアより)
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