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京都大学基礎物理学研究所から見た益川敏英
中間子を予測した湯川秀樹を初め、ニュートリノ振動を予測した牧二郎、一般相対性理論における冨松佐藤解を導いた佐藤文隆、中野西島・ゲルマン則の西島和彦、長岡強磁性の長岡洋介、小林・益川理論の益川敏英、ゲージ場における九後小嶋閉じ込め条件の九後太一などが、所長を務めた。(京都大学基礎物理学研究所 フレッシュアイペディアより)
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Progress of Theoretical Physicsから見た益川敏英
かつて出版費用の約50%は日本学術振興会からの補助金で賄われたが、次第に削減され、2008年時点では約27%までと少なくなっている。2008年度のノーベル物理学賞を南部陽一郎、小林誠と共同受賞した益川敏英は受賞決定後の記者会見で、「研究成果が海外で客観的な評価を受けるため、日本人が主となって運営し、世界に通用する学術誌を持つことは非常に重要だ」と述べ、安定した助成制度の必要性も訴えた。(Progress of Theoretical Physics フレッシュアイペディアより)
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日本の科学技術から見た益川敏英
日本はこれまで複数名のノーベル賞科学部門の受賞者を輩出している。当時京都大学教授だった湯川秀樹は1949年にノーベル物理学賞を受賞した。1965年に朝永振一郎が続いた。東京大学で教鞭をとっていた半導体研究者の江崎玲於奈も1973年にノーベル物理学賞を受賞した。京都大学の福井謙一が1981年にノーベル化学賞を共同受賞し、同じく京都大学で教鞭を執っていた利根川進が1987年に日本初のノーベル生理学・医学賞を受賞した。日本の化学者は2000年、2001年と立て続けにノーベル化学賞を受賞する。2000年に東京工業大学の白川英樹が、2001年に京都大学の野依良治が受賞した。2002年には東京大学の小柴昌俊がノーベル物理学賞を、東北大学出身の田中耕一がノーベル化学賞を受賞してそれに続いた。 小林誠、益川敏英、そして現在はアメリカ合衆国国籍の南部陽一郎が2008年にノーベル物理学賞を共同受賞し、同年に下村脩がノーベル化学賞を受賞した。以降も2010年に鈴木章と根岸英一がノーベル化学賞を受賞し、2012年には山中伸弥が日本人2人目のノーベル生理学・医学賞受賞者となった。(日本の科学技術 フレッシュアイペディアより)
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