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相田翔子から見た鈴木早智子
高校2年生(当時16歳)の時にはソロ歌手デビューの話があったものの、校則で禁止されていたのでデビューを断念している。堀越高等学校への転校も考えたが、多くの芸能人が並ぶ中でドキドキしながら暮らすことなどできないと思い、これは断念。現在の感覚で言えば訴訟沙汰にもなりかねない事態であったが、当時の事務所の社長の配慮もあって大事には至らなかった。本人はこの選択を後悔しておらず、後年の談話ではその時デビューしていたら自己主張できず消えただけだろうと思っている。1987年9月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞(第7代グランプリが後にWinkとしてデュオを組むことになる鈴木早智子)。(相田翔子 フレッシュアイペディアより)
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