-
真弓明信から見たオリックス・バファローズ
5月5日の対日拓ホームフライヤーズ戦(平和台野球場)で、9回裏に遊撃手の守備固めとしてプロ初出場。守備機会はなかった。5月15日の対阪急ブレーブス戦でも9回裏から遊撃手の守備固めとして出場するも、2つのエラー(記録上は、1つは内野安打)を喫し、翌日二軍落ちする。同年7月よりおよそ3か月間、アメリカの1A・ローダイ・ライオンズに留学する。このアメリカ留学で、当時日本ではそれほど行われていなかったウエイトトレーニングを練習に加えるようになった。(真弓明信 フレッシュアイペディアより)
-
-
真弓明信から見た埼玉西武ライオンズ
若菜は高卒で地元の福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズに入団し、真弓は社会人野球の電電九州に進んだ。電電九州では、正遊撃手およびその控え選手の故障で、1年目から遊撃手のスタメンを得ることとなり、第43回都市対抗野球大会でベスト8となり日本産業対抗野球大会にも出場した。それらの活躍もあり、1972年のドラフト会議で西鉄ライオンズに3位指名されプロ入りし、1年前に入団した若菜と再びチームメイトになった。背番号は2。担当スカウトは武末悉昌。だが西鉄ライオンズは、その後すぐに経営権が移り、太平洋クラブライオンズに球団名が変更されている。(真弓明信 フレッシュアイペディアより)
-
真弓明信から見た東京ヤクルトスワローズ
は、10月13日の対ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で、荒木大輔から通算41本目(セ・リーグでは38本目)の初回先頭打者本塁打を記録。同記録は歴代2位で、セ・リーグのみの記録としてはリーグ最多である。(真弓明信 フレッシュアイペディアより)