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ミレニアム打線から見た石井浩郎
2000年の巨人は、前年まで当時のワーストタイ記録である3年連続V逸中で、ファンなどから優勝が課題とされていた。松井秀喜は前年まで主に三番打者で活躍していたため、シーズンを通して四番打者を務めたことが無かったが、契約更改後の記者会見にて、「2000年からは自分が四番を打ちたい」と発表した。球団は打線のさらなるテコ入れのため、高橋由伸の活躍や清原和博に加え、ドミンゴ・マルティネスの加入と自らの故障で出場機会を失っていた広澤克実、守備・走塁に難があり故障が多かった石井浩郎を放出し、守備に難があるものの、長打力に加え走力もある江藤智をFAで広島東洋カープから獲得した。前年までV逸のA級戦犯扱いされていた清原和博は心身共に肉体改造を行い、マルティネスとのレギュラー争いに備えた。なお、この年は福岡ダイエーホークスからFAで工藤公康、阪神タイガースを自由契約になったダレル・メイ、石井とのトレードで千葉ロッテマリーンズの河本育之を獲得するなど投手陣の補強も積極的に行ったため、他球団ファンなどからの批判も少なからず起こった。(ミレニアム打線 フレッシュアイペディアより)
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赤松真人から見た石井浩郎
、開幕直後に右肩関節上方関節唇損傷で登録抹消されたが、4月中旬に復帰。4月29日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でプロ初本塁打となる初回先頭打者本塁打を放つと、同カード・同球場の翌日の試合でも2試合連続となる先頭打者本塁打を放った。プロ第1、2号が2試合連続初回先頭打者本塁打となったのはプロ野球史上初のことである。さらにその翌日5月1日にも再度本塁打を放ち、の石井浩郎以来となるプロ初本塁打から3試合連続の本塁打を記録した。この年は左打者の天谷宗一郎と併用されたため規定打席には届かなかったが、開幕からの右肩痛と戦いつつシーズンを通じて堅実な守備で数字以上の貢献を見せた。走塁面でも非凡な才能を見せ、盗塁数こそ12個に終わったが、高い成功率 (.857) を記録した。12月20日、入籍していた女性と広島市内で結婚式を挙げた。(赤松真人 フレッシュアイペディアより)
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古木克明から見た石井浩郎
、背番号3を石井浩郎に譲り33に変更。二軍でチームトップの打率.285、13本塁打を打ち、シーズン後半に若手起用の方針から一軍で積極的に起用された。9月7日に川尻哲郎からプロ入り初本塁打を打つと、その後1か月半で桑田真澄、山本昌、岩瀬仁紀などエース級投手から次々と本塁打を放ち、最終的に9本塁打を記録。打率も.320を記録した。また黒江透修監督代行によって9月後半から13試合で4番として起用された。シーズンオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップでは日本代表に選出され、4本塁打を放ち、本塁打王とベストナインとなった。(古木克明 フレッシュアイペディアより)
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