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あぶさんから見た石井浩郎
他球団の選手では、初期の作品では近鉄の選手がしばしば登場した。前述の永淵、後述の主砲・土井正博の他、当時頭角を現しつつあった太田幸司、ジャンボの愛称で人気のあった仲根政裕などが目立つ。エースの鈴木啓示もしばしば登場するものの、あまり目立った登場の仕方はしていない。他に後年の野茂英雄や石井浩郎も比較的登場頻度が高い選手で、特に石井は登場人物とのロマンスも描かれるなどした。また、近鉄は景浦の長男・景虎が最初に所属した球団でもあるため、その時代の選手も多く登場している。中でも初期の景虎とバッテリーを組む機会の多かった捕手として的山哲也の登場頻度が高かった。的山は後にソフトバンクに移籍している。更にオリックス・阪神の選手も同様の理由(更に一時期はどちらにも小林満が在籍)で登場頻度が高かった。(あぶさん フレッシュアイペディアより)
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1995年の近鉄バファローズから見た石井浩郎
オフに球団や監督との確執が深刻化していた野茂英雄がアメリカに渡り、さらに開幕前にはもう一人の不満分子・吉井理人もトレードでチームを去り投手陣が弱体化、10勝に到達したのは山崎慎太郎と佐野重樹の2人だけ、吉井とのトレードで入団した西村龍次は5勝にとどまった。一方で前年の快進撃を支えた「いてまえ打線」は、前年の打点王・石井浩郎が5月18日に亀裂骨折した右かかとの激痛に苦しむも、掛布雅之の持つ「4番打者の連続先発出場記録」を更新するため試合出場を強行、6月には1打席だけ打席に立ち交代するという異常事態が続き、記録を更新した6月8日の試合を最後に戦列離脱。また2年連続本塁打王のラルフ・ブライアントも、3日後の試合を最後に怪我で戦列を離れそのまま退団。こうして2枚看板を失った打線も崩壊し、チーム打率と得点数はリーグ最下位と低迷した。もはや戦える戦力ではなくなったチームは7月中旬に5連敗で最下位転落、さらに8月に7連敗を喫したところで鈴木監督は休養、代わりに指揮を執った水谷実雄もチームを立て直すことは出来ず、8月26日には満員の藤井寺でオリックス佐藤義則にノーヒットノーランを喫する屈辱を味わった。結局チームは8年ぶりの最下位でシーズンを終えた。(1995年の近鉄バファローズ フレッシュアイペディアより)
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プロ野球ドラフト会議から見た石井浩郎
1989年もドラフトが豊作となった年として知られる。野茂英雄に史上最多となる8球団の指名が集中し、抽選で近鉄が引き当て入団。その野茂の外れ1位だけでも佐々木主浩(大洋1位)、小宮山悟(ロッテ1位)、西村龍次(ヤクルト1位)、葛西稔(阪神1位)、元木大介(ダイエー1位・入団せず)といった名前が並び、その他にも与田剛(中日1位)、潮崎哲也(西武1位)、佐々岡真司(広島1位)、岩本勉(日本ハム2位)、古田敦也(ヤクルト2位)、井上一樹(中日2位)、石井浩郎(近鉄3位)、吉岡雄二(巨人3位)、橋本武広(ダイエー3位)、前田智徳(広島4位)、宮地克彦(西武4位)、新庄剛志(阪神5位)、種田仁(中日6位)、浅井樹(広島6位)と、メジャーリーグ経験者4名(野茂・佐々木・新庄・小宮山)、2000本安打達成者2名(古田・前田)を輩出するなど1990年代から2000年代にかけて活躍した選手が多数指名されている。また、後にタレントとなるパンチ佐藤(佐藤和弘)もオリックスに1位指名されている。(プロ野球ドラフト会議 フレッシュアイペディアより)
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