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河合竜二から見た石崎信弘
2011年、背番号は前年に石川直樹が背負っていた4を与えられ、ミッドフィールダーとして登録された。この年の札幌は前年にこの石川以外にも守備陣を中心に多くの主力選手がチームを去り再編を余儀なくされていた事もあって、クラブから河合はチームの中心選手として期待され、監督の石崎信弘からの指名により 札幌加入初年度ながらキャプテンを任される事になった。リーグ戦では、最終ラインの要として期待されたチアゴが調整不足の為に起用出来ず、河合と同じくこの年に移籍加入した若手の山下達也と共に開幕戦から不動のセンターバックとして守備を支え続け、一時はチームの失点数もリーグ最少を記録する。その一方でリーグ戦開幕当初から深刻な得点力不足にも陥っており 序盤は下位に低迷した。6月に入ると主力ボランチとして起用されていた芳賀博信が度重なる負傷による戦線離脱を繰り返し、8月からは高卒新人の櫛引一紀がセンターバックとして成長を見せスタメンに定着するようになると、河合はボランチにポジションを移し芳賀不在の穴を埋めるだけに留まらず、宮澤裕樹、高木純平らとダブルボランチを組み攻撃の起点としても活躍する。また、河合自身も10月30日のJ2第33節熊本戦では前半13分に先制点となる豪快なミドルシュートを決め勝利に貢献。これが河合のJ2初ゴールであった。これらの活躍もあってチームは好調を維持し続け、リーグ戦の後半から一気に成績も上昇し一時は首位に浮上した。終盤には連敗を喫するものの12月3日のJ2最終節F東京戦で勝利を収めた事で3位が決定しJ1昇格を果たす。最終的にこのシーズンはリーグ戦の全38試合のうち累積警告により出場停止となった1試合を除く全試合にスタメンで起用され、出場時間もチームトップの山下達也に次ぐ3,326分に到達するなど、チームの中心選手として札幌のJ1昇格には欠かせない大活躍のシーズンとなった。(河合竜二 フレッシュアイペディアより)
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石川直樹 (サッカー選手)から見た石崎信弘
ジュニアユース時代から柏レイソルの下部組織で育った地元出身の生え抜き。2003年から2種登録選手としてトップチームに帯同し、2004年に正式にトップチームに昇格。2008年には選手会長も務めたが、2009年7月に出場機会を求めて元柏監督の石崎信弘が指揮を執っていたコンサドーレ札幌に期限付き移籍。札幌には移籍期間を延長して2010年まで在籍し、主将を務めるなどチームの主軸として活躍した。(石川直樹 (サッカー選手) フレッシュアイペディアより)
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上里一将から見た石崎信弘
2009年は新監督に就任した石崎信弘に指名されキャプテンに就任。クラブ史上最年少での主将抜擢だった。リーグ戦が開幕するとレギュラーとして主にボランチや左サイドバックで起用され、チーム最多の48試合に出場(うち先発出場は47試合)し、出場時間もチームトップの西嶋弘之に次ぐ4,013分に到達するなど上里にとって飛躍の年となった。リーグ戦が始まると序盤こそ勝てない時期が続き、3月25日のJ2第4節湘南戦では試合開始早々にチームメイトのキリノと接触し裂傷を負い負傷退場してしまう不運にも見舞われたが、続く3月29日J2第5節岡山戦で豪快なミドルシュートでシーズン初ゴールを挙げると、4月からはチームも13試合連続で不敗を続けるなど好調を維持し攻守の要としてチームを牽引した。また、得点能力の向上も見せており、上述の岡山戦でのゴールをはじめ、6月27日J2第24節仙台戦では左サイドの深い位置からゴールを決め、8月5日J2第32節の福岡戦では自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めるなど、持前の視野の広さとキックの精度を活かしたゴールも多く挙げ、9月20日のJ2第40節福岡戦ではプロ入り後初となる直接フリーキックを決めており、最終的に自身最多となる6得点でシーズンを終えた。(上里一将 フレッシュアイペディアより)
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古田寛幸から見た石崎信弘
2009年、背番号は札幌U-18時代の2学年上の先輩でもある横野純貴が前年に背負った27を与えられた。この年に監督に就任した石崎信弘の信頼を得て、7月25日J2第30節岡山戦で初めて控えメンバーに登録され、続く8月2日J2第31節C大阪戦で後半13分に西大伍と途中交代で公式戦初出場を果たし、藤田征也が持つクラブ史上最年少出場記録を塗り替えた(18歳2カ月10日。翌2010年に三上陽輔、荒野拓馬が記録更新)。続く8月5日J2第32節福岡戦で初先発出場を果たし勝利に貢献。2001年に今野泰幸が記録したクラブ史上最年少先発出場記録に並ぶ最速先発出場であった(18歳2カ月13日)。以降右サイドで定位置を確保し、ゴールこそ挙げられず新居辰基が持つクラブ史上最年少得点記録の更新とはならなかったものの、コンスタントに起用され続けシーズン通して公式戦20試合に出場した。また、この年はU-18日本代表にも招集されSBSカップ 国際ユースサッカー 、AFC U-19選手権2010 (予選)に出場した。(古田寛幸 フレッシュアイペディアより)
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2006年のJリーグ ディビジョン2から見た石崎信弘
迎えた最終節。自動昇格の残り1枠は神戸が柏に勝ち点差1を付けており、最終節で勝てば昇格が決まっていたが、最後にホームで意地を見せた仙台の前に敗北。柏がアウェーで湘南を一蹴したことで柏の逆転昇格が決まり、神戸は福岡との入れ替え戦に回ることになった。なお、柏監督の石崎信弘は過去3回勝ち点差1でJ1昇格を逃した経験があり、柏と神戸の最終戦が同じ勝敗だったら4回目の悲劇(過去3回と違って入れ替え戦の望みはあるが)を味わっていたところだったが、4回目の正直で昇格を決めた(第51節・最終節に関しては2006年J2第51節・最終節も参照されたい)。(2006年のJリーグ ディビジョン2 フレッシュアイペディアより)