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第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会から見た石川直宏
試合は序盤から攻守の切り替えの激しい展開となり、13分に京都FWドゥトラがドリブルで持ち込んだボールのこぼれ球をMF中山博貴が決めて京都が先制するも、その2分後にはFC東京が左CKからMF石川直宏の上げたクロスをMF今野泰幸が頭でたたき込んで同点に追いつく。その後も一進一退の攻防が続くが、36分にFC東京が得たFKのチャンスで、石川の流したボールをDF森重真人が無回転シュートを決めて逆転、42分にもFWルーカスが流し込んで追加点を挙げ、前半は3-1で折り返す。(第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会 フレッシュアイペディアより)
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上西小百合から見た石川直宏
2017年7月15日に埼玉スタジアム2002で行われた浦和レッズ対ドルトムントの国際親善試合において、2-3の逆転負けを喫した浦和に対し、上西は自身のTwitterで「浦和酷い負けかた。親善試合は遊びなのかな」とツイートした。これを発端に浦和サポーターを始め、サッカーファンなどから批判が殺到。高木義成や石川直宏ら現役サッカー選手がリプライを送る事態となるが、当の上西はその後も「浦和で街頭演説でもしましょうか」「サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」とさらにツイートをエスカレートさせた。こうしたことから殺人予告が届く事態となり、上西は警視庁麴町警察署に被害届を提出。その後、浦和側に面会を申し入れるが、これを固辞されたために7月20日のツイートで、「日本を代表するビッグクラブの対応だとすれば、お粗末」「レッズ側は上西の炎上商法に付き合う気はないという事でしょう。ただ話をしないというのは怠慢です」と批判を繰り返し、Jリーグ百年構想に引っかけ「百年構想が五十年で実現するかもしれないビッグクラブなのに、フロントがそれなら百年かかりますね」と挑発した。(上西小百合 フレッシュアイペディアより)
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2010 FIFAワールドカップ日本代表から見た石川直宏
主力メンバーは2004年アテネ五輪世代(29歳?27歳)と2008年北京五輪世代(24?22歳)が中心となった。上の年代の黄金世代に比べると国際大会での成績が見劣りするため、「谷間の世代」「谷底の世代」と冷評されていた。ワールドカップを経験している30歳以上の選手も7名おり、ゴールキーパーの川口能活と楢崎正剛は4大会連続選出となった。候補に挙げられていた石川直宏や香川真司が最終登録から漏れる一方、岡田ジャパンでの実績が少ない矢野貴章や、大怪我により半年間実戦から遠ざかっていた川口能活がサプライズ選出された。(2010 FIFAワールドカップ日本代表 フレッシュアイペディアより)
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梶山陽平から見た石川直宏
2008年からはエースの象徴でもある“背番号10”を託されている。これはクラブの念願であった『ユース出身者による背番号10』の誕生でもあった。2008年北京オリンピック・サッカー日本代表(U-23)でも背番号10を背負い、香川真司が「一緒にやっていてもうまい。縦パス1本でもアイデアがある。攻撃の核」と話すなど、同代表のチームメートからも一目置かれ期待されたが、日本は3戦全敗で梶山も強い存在感を示す事が出来なかった。同年から城福浩がFC東京の監督に就任し、中盤の底のポジションでの守備面の安定感も増加。攻撃の基点としてパスを各所に配球しチームの心臓として機能。石川直宏が「FC東京は(梶山)陽平のチーム」とコメントするなど、チームの主軸として確固たる存在となった。この年、梶山と対談した名波浩は、梶山について「前線の選手を自分の手のひらの上で転がしているかのようなプレーを見せてくれる。それができる選手は(日本人Jリーガーだと梶山の他には)ヤット(遠藤保仁)と(中村)憲剛ぐらい(しかいない)」と評した。(梶山陽平 フレッシュアイペディアより)
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米本拓司から見た石川直宏
2010年には、尊敬する浅利悟の背番号「7」を引き継ぎ(浅利も「7番は米本に」と希望していた)、開幕スタメン入りを目指していたが、2月25日の小平グランドでの練習中に負傷し、後に左膝前十字靱帯損傷および左膝外側半月板損傷と診断され戦線から離脱。長期のリハビリ期間を強いられた中で筋力トレーニングに励んで体重を5キロ増やし、10月23日のJ1第27節新潟戦でベンチ入りを果たした。翌節の清水戦からは先発出場。大熊清監督やチームメートの石川直宏から、守備のアプローチが速く、勇気あるプレーで攻守に好影響を与えたと評価された。一方で、自身はブランクによるスタミナ不足を感じており、出場を続ける中で克服に努めた。最終節にチームは16位となりJ2降格を喫したが、米本の復帰以降は3勝2分2敗と調子を上向かせていた。当時の米本についてスポーツライターの小宮良之はスペインのマルコス・セナに似たタイプの選手と評した。(米本拓司 フレッシュアイペディアより)