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横浜DeNAベイスターズから見た石川雄洋
キャンプ中から開幕前にかけて故障者が続発。山崎憲晴が左膝靱帯断裂で今季絶望。となったほか、梶谷隆幸、石川雄洋、山口俊といった主力選手が故障により開幕に間に合わず、開幕直後に藤岡好明とマイク・ザガースキーを相次いで獲得したが、4月は投打に渡り戦力不足の結果9勝18敗と大きく負け越した。5月に入ると梶谷など怪我で離脱していた主力選手も戻り、石田健大、今永昇太が揃って月間4戦全勝(石田は26イニング連続無失点を記録)と活躍するなど5月3日時点で11あった負け越しを5月28日には完済した。交流戦は負け越したもののエリアン・エレラが加入し、7月には筒香嘉智が月間16本塁打の歴代日本人最多記録、月間6度の複数本塁打と3戦連続複数本塁打という2つのプロ野球記録を樹立するなど大爆発。7月11日には三浦大輔が世界記録となるプロ野球投手としての24年連続安打を達成(ギネス世界記録に認定され、8月22日、横浜スタジアムで認定証が授与)するなど勢いを取り戻し、17年ぶりとなる2年連続の前半戦Aクラスターンを決める。すると後半戦は8月25日に4位阪神に0.5差まで詰められるも最後までAクラスを守り抜き、9月19日、広島東洋カープ25回戦にて勝利、11年ぶりのAクラスが確定し、チーム初のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。最終結果は69勝71敗3分。CS進出を決めた翌日に三浦大輔が現役引退を表明し、9月29日の対東京ヤクルトスワローズ25回戦(レギュラーシーズン最終戦)が引退試合として行われた。三浦大輔の引退により、大洋ホエールズ時代に在籍した選手と、1998年のリーグ優勝・日本一を経験した選手が全員引退した。CSでは公式戦2位の巨人と対戦し、2勝1敗でファイナルステージ進出を決めて公式戦1位の広島東洋カープと対戦、第3戦で借金チームとして初のファイナルステージでの勝利を挙げたものの1勝4敗で敗退した。DeNAがCSに進出しファイナルステージまで進んだことにより、CS制度導入後10年目にして、12球団すべてがCSに出場するとともに、セ・リーグ全球団がCSファイナルステージ(第2ステージ)に出場した。(横浜DeNAベイスターズ フレッシュアイペディアより)
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白崎浩之から見た石川雄洋
には、開幕を二軍で迎えたが、5月1日に初めての一軍昇格を果たすと、同日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)9回表から遊撃手として一軍初出場。その裏の打席では、一軍初安打を放った。石川雄洋の不調などを背景に、5月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(横浜)では、「7番・遊撃手」として初めてスタメンに起用。しかし、以降は二度にわたって、二軍への降格を経験した。8月17日に一軍へ昇格してからは、シーズン終了まで一軍に定着。シーズン後半の公式戦では、山崎憲晴や梶谷隆幸で遊撃手のレギュラーを争うようになった影響で、三塁手に起用される機会も多かった。(白崎浩之 フレッシュアイペディアより)
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あの・・こんなんできましたケド。から見た石川雄洋
プロ野球選手で小池正晃(中日ドラゴンズ)、坂本勇人(読売ジャイアンツ)、柴原洋(福岡ソフトバンクホークス)、石川雄洋(横浜ベイスターズ)が2010年の登場曲としても使用している。ちなみに小池、石川は横浜高校野球部の後輩である。坂本とはグータンヌーボで共演した事がある。(あの・・こんなんできましたケド。 フレッシュアイペディアより)
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遠藤政隆から見た石川雄洋
死球に関するエピソードが多い。ヤクルトに移籍した2007年4月19日の横浜戦で、7回表に代走で出場した石川雄洋が大量得点差にも関わらず、盗塁(プロ初)したため、その報復として内川聖一に故意と思われる死球を投げた。さらに後続の村田修一に投じた変化球がすっぽ抜け、頭部死球となったことから乱闘騒ぎとなる。この試合は警告試合となった。遠藤は、「10年以上やっているから、やっていい事と悪いことはわかる」とし、内川の死球はやむをえないが、次の打者には絶対にぶつけてはいけなかったと述べ、村田にぶつけてしまったことにはプロとして反省していると述べた。また、6月11日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦においてもリック・ショート・山崎武司に対して死球を与え、警告試合になっている。(遠藤政隆 フレッシュアイペディアより)
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