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福田永将から見た石川雄洋
横浜高校では打撃を買われ1年春からベンチ入り。2学年上の涌井秀章とバッテリーを組み、石川雄洋らとともに甲子園にも出場。レギュラーであったが、まだ1年で経験も浅かったために、試合終盤の大事な場面では交代させられることが多かった。2年春から4番打者を務めた。2006年春の第78回選抜高等学校野球大会では1学年下の高濱卓也、同期の佐藤賢治とクリーンナップを組み、主将として優勝を経験。同年夏は史上初の同校2度目の「春夏連覇」が期待されたが、大阪桐蔭に6-11と大敗し、大会初日に敗退。上記以外に同期には下水流昂、西嶋一記がいた。特に下水流とは小学校から高校まで同じチームでプレーした。(福田永将 フレッシュアイペディアより)
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内村賢介から見た石川雄洋
2012年6月24日に横浜DeNAベイスターズの藤田一也とのトレードが発表された。背番号は藤田が着用していた「23」に決定。移籍後は正二塁手の石川雄洋が怪我をしたことも重なり、二塁手のレギュラーを獲得。また、途中加入にもかかわらず、チーム2位となる18盗塁を記録した。一方で、打撃面ではシーズンを通しての打率が.215、移籍後のみでも.237と精彩を欠いた。この年の8月15日の阪神タイガース戦では盗塁を決めたが、その打席に立っていた中村紀洋から盗塁したことを非難される出来事があった。首脳陣がサインを出さなくても自分の判断で盗塁ができる「グリーンライト」の権利を内村が持っていることから中村の叱責は采配批判にあたるとされ、中畑清監督によって中村は登録抹消された。(内村賢介 フレッシュアイペディアより)
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アーロム・バルディリスから見た石川雄洋
には、公式戦の開幕から、主に「6番・三塁手」としてスタメンに起用。移籍後初めて4番打者として出場した5月10日のヤクルト戦(横浜)では、7回裏の第3打席でチーム唯一の安打および打点となる2点本塁打を放って、チームを(前身の大洋ホエールズ時代からの)横浜スタジアム主催試合通算1000勝達成に導いた。キューバを代表する二塁手のユリエスキ・グリエルが入団した6月以降の公式戦では、グリエルを三塁・チームリーダーの石川雄洋を二塁に起用するチーム方針や、一塁を守っていたトニ・ブランコの戦線離脱などを背景に一塁手として出場することもあった。シーズン通算では、一軍公式戦139試合に出場。17本塁打、52打点、打率.255を記録した。(アーロム・バルディリス フレッシュアイペディアより)
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