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石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の一社。宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の一社であり、また宮中の四方拝で遥拝される一社。旧社格は… (出典:Wikipedia)

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  • 幡枝八幡宮

    幡枝八幡宮から見た石清水八幡宮

    社伝によれば、宇多天皇の治世の894年(寛平6年)に、新羅が日本に攻め入ろうとしているという噂が流れていた頃、幡枝(当時は「旗枝」)の地に「大地鳴動」が起こり、里人の間に神が現れ、「皇都および人民守護のため、この地に鎮座する」との神告があり、このことを里人が御所に知らせに行こうとしたところ、同じ夢を見て幡枝を訪れようとしていた勅使に出会ったため、互いにそのことを話し、揃って地鳴りの中心地に赴くと、山の麓に清水が湧き出しているのが見つかったため、勅使はすぐに都へ帰り、このことを天皇に告げ、その山の頂上に新宮を造営し、男山より石清水八幡宮を勧請して「王子山八幡宮」と命名したとされる。王子山八幡宮は、旗枝・鉾枝・福枝の3地域の鎮守社となり、その内の「旗枝」は「八幡の枝別れ」として「幡枝」と称するようになり、王子山八幡宮も「幡枝八幡宮」と呼ばれるようになった。また、地鳴りの中心地に湧き出ていたといわれる清泉は「石清水」と呼ばれ、およそ1000年間枯れることなく滾々と湧き続けていたが、近年の宅地開発の波によって消滅した。(幡枝八幡宮 フレッシュアイペディアより)

  • 基棟王

    基棟王から見た石清水八幡宮

    仁和3年(887年)石清水八幡大菩薩宮への奉幣使となるが、東京四条にて落馬して肢体を負傷したために、神宮まで辿り着くことができなかったという。没年は明らかでないが、『公卿補任』への掲載が仁和3年(887年)までであり、この頃没したか。(基棟王 フレッシュアイペディアより)

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