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別府川 (鹿児島県)から見た石清水八幡宮
1282年(弘安5年)に、山城国石清水善法寺別当権大僧都祐清の子、了清が石清水八幡宮の分霊を行い、神領の支配のために大隅国へ下ってきた。一族を引き連れて松原(姶良市の海岸付近)に一旦上陸し、そこから別府川を遡り姶良町船津付近に船を係留して一夜を過ごした。翌朝、東側に上陸して山の上に帖佐郷鍋倉新正八幡宮を建設し、平安城を造営して平山氏の起こりとなった。平山氏は9代目平山越後守武豊が島津氏に討たれるまで、帖佐地区を支配した。船を係留した船石が船津に最近まで残っていて、いつの頃からか行方不明になったと言われている。(別府川 (鹿児島県) フレッシュアイペディアより)
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