
石清水八幡宮から見た三筆
幕末までは神仏習合の宮寺で石清水八幡宮護国寺と称し、東寺(教王護国寺)や清水寺、比叡山延暦寺、仁和寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、相国寺、大安寺など、多くの寺院と関連が深かった。また、河内源氏の競合相手とされる伊勢平氏も当社を重んじ、平正盛の造営の功や平清盛ら伊勢平氏の臨時祭での演舞が知られる。江戸時代まで護国寺や極楽寺、弁天堂を始め「男山48坊」と呼ばれる宿坊が参道に軒を連ね、寛永の三筆である松花堂昭乗も八幡大菩薩に仕える社僧であった。(石清水八幡宮 フレッシュアイペディアより)